あかんたれブルース

継続はチカラかな

フィクションから生まれた偶像崇拝

情動の知性(1)受容力(其の三)



 どうも(A)タイプの問題の根源に
 この理想とする「いい人」の虚像、偶像崇拝があるのでは?

 それは、いったい誰? 何をイメージして生みだした。たかだか人間じゃないか。

 私がない智恵を振り絞って考えたひとつの仮説として、
 それはフィクションである小説ドラマ漫画にあるのではないか。と。

 それしか考えられない。私の頭脳ではね。

 私たち昭和30年代いわゆる三丁目の夕日世代は高度成長と共に
 学生運動もしらず、テレビや漫画といったメディアに強く影響されてきました。
 それは、私たち以降の世代も同じだと言えます。

 ヒーローヒロインのキャラクターは変わっても(放送)作家や編集者の生み出すそれらは
 ひとつのパターン、ステレオタイプの法則性・お約束が付いている。

 実際の現実は小説より奇なり。であるのですが、
 その現実のダイナミズムをしる経験がありません。それはしょうがないよね。

 ただ、デフォルメされたキャラクターの生き様から、それは善悪含めて、
 主人公の在り方に大きく影響された。されている。のではないか。

 シナリオや小説などで描かれる人物。そしてそのドラマは煩雑や複雑過ぎることを嫌われます。
 それは受けても送り手も同じお約束としてです。

 でも現実はそんなに単純ではなく複雑で煩雑で、誰が善人で誰が悪人か分からない。

 マスコミは昨日までは持ち上げて、本日一番で奈落に落とそうと手グスネしている。
 それを民衆は望んでいると。


   たとえば、リクルート江副浩正
   彼を拝金主義のパイオニアとして、理念なき膨張の自爆と位置付ける。

   江副さんが経営とは別に株式投資に狂っていたことが取り上げられる反面、
   リクルート創業期から全社員の名刺を、
   東京練馬区の養護施設「旭出学園」の印刷科で刷らせていたことを知る者は少ない。


 それがどうした。と言えばそれまでですが、

 その生い立ちからさかのぼり、女性関係にだらしのなかった父親と、
 血縁のない育ての母親たち。
 そして東大はじまって以来の起業家ともてはやされていく過程を追うと、
 そう簡単に人間の善悪なんてジャッジできない。

 そういう考えさせられる書籍もありますが、なかなか手に届かないようです。
 そんなことよりもフィクションやドラマは分かりやすく解決させてくれます。

 大宅壮一はそれを「一億総白痴化」と警告を鳴らしたましたが、
 心情的には同意したくない。

 自分に厳しく、自分を愛せない者たち
 献身的で無欲で平和主義で争い事を好まず、必要以上の包容力と尊重精神。
 それは、ストイックであって、何かを削ぎ落とそうとする内向的の体質。

 ひとえには自分たちの親がそうでなかったが故に、
 自分自身はそう在らねばならないと感じてしまうのかもしれません。

 私たちは「他人に迷惑かけてはいけない」と教えられてきました。
 これも問題かもしれません。
 人間はどのみち誰かに迷惑をかけて生きていかざる負えない。
 だから、他人と比較して自分は迷惑をかけない人間としての自己完結を求めてしまうのでなく、
 人間はみな生かされている。という真理から
 自分を受け入れ愛せるような努力が必要なのだと思います・

 だから、成功したからとっても驕らずに人を思いやる心が大切だと。


 (B)に関しては分からない。
 この後の各ファクター分析に期待してみましょうか。