あかんたれブルース

継続はチカラかな

夢を持つことはデンジャラス?

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情動の知性(3)モチベーション能力(其の二) 



 ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう


 中島みゆきの「ファイト!」は私たちを鼓舞してくれる。泣けてくる

 でも奴等は必ず嗤います。親切ごかしに引き止める場合も多い。

 いまの時代に「志」なんてクチにしたら勤皇の志士かと笑われますよかね。

 こういう閉塞的な時代環境が過去にもありました。
 江戸時代・徳川幕府の後期です。社会システムがいきすぎて行き詰まった。

 創業者の家康はこの国を儒教的な国家に仕立てましたが、日本全国行き詰まってしまう。
 男色に奔る武士、死ぬことに活路を見いだす武士、カルチャーに没頭する平民。

 その儒教朱子学」に対抗して同じ儒教から出た「陽明学」が脚光を浴びたのもこの頃です。

 もう考えても答えは出ない。行動あるのみ。

 これが革命の行動原理となったといっても過言ではありません。

 けれども、ある先輩はこういいます。

 「陽明学」は危険思想だね。それを信奉した者たちの末路はみな悲劇だ、と。

 確かに、大塩平八郎吉田松陰西郷隆盛も壮絶な最期を遂げている。

 けれどもそうだろうか?

 福田和也は「孟子」でさえも危険思想だと言う。

 理想を求めて生きることは危険なのだろうか?

 きっとこれは彼一流の逆説的な皮肉なのでしょう。きっと、たぶん

 「孟子」はその教えのなかに易姓革命があったために
 日本の武家社会では手放しでは認められませんでしたが、四書五経のひとつ。
 皮肉なことに徳川時代に「朱子学」が官学になったことから
 「孟子」の研究も盛んになったそうです。

 孟子の教えをカミュの言葉にあてはめれば、
 「苦悩がもたらす幸せ。不自由に絶える矜持。おお!僕の現実」

 性善説の老舗の権化、孟子はこう言います。

 天がその人に役割を与えるときには、必ず多くの苦難と問題と挫折を与える。
 それはその人がその役割を果たせるためのプロセスである。

 私は決して、夢や希望を持つことが非現実的だとは思えない。

 それを嗤う者達が知的で経験豊かな現実主義者とも思わない。

 志を持つことが危険思想だとは思わない。

 むしろ、その志は現実的で手近なものよりも、もっと大きな志であるほうが
 大切で重要なのだと思います。

 青年よ大志を抱け。

 北大の羊ヶ丘展望台に立つクラーク博士の彫像は今も彼方を指さしている。

 その彼が晩年、事業に失敗して失意のなかでその生涯を終えたとしても、
 そのメッセージが決して危険思想などではないことを、
 私は確信するものです。