情動の知性(4)共感能力(其の二)
この他人への想像力。
つまりは「思いやり」が欠けている場面にはよく遭遇します。
如才無いタイプの人が時々ペロッと痛烈な言葉を口に出すケースがあります。
もっと厄介なのは本人がそのことに気づいていないことです。
とは別に、「思いやり」自体を「情けは人のためにならず」と誤った解釈から
徹底的に否定する硬骨さんもいます。
また、そこまででもなく、他人と距離を置くこと、その間合いだけを社是とする人もいる。
そしてとても寛容で理解があるように振る舞う。
第一のタイプは気配りを全方向に張り巡らせた結果、ボロが出たんでしょうね。
可哀想に悪気ではなかったのに、その事にもし後で気づけば自己嫌悪のハロー注意報。
アニュアルに依存してしまったのも敗因です。
第二のタイプはニヒリズムでいいのですしょうけれど、
人間の特性に反することから非常に居心地の悪い生き方かもしれませんね。
本人の自由ですから。やれるところまでどうぞというしかありません。冷たい?
第三のタイプはある意味とても理知的に感じます。
オスカー的に少し意地悪に評せば、
「耳を傾けるな。聞くことは己が話しかける相手に対する無関心のあらわれだ」
となりますが、要は「無関心」であり、それは自分自身にも無関心でしかない。
心のフラストレーションは常に平面張力で保たれるだけで、足取りも闊歩することは許されない。決して。
ここでもう一度確認しておきます。
この共感能力は心の知性の重要な要素であり、
この対人知性が対人関係を円滑にさせ、社会的成功のカギであるといわれます。
『EQ/心の知性指数』の著者であるダニエル・コールマンは
「世界有数の科学系シンクタンクで働ける者と、そうでない普通の社員を
比較したところIQの差はほとんどなかった。
ただし、前者は日常的に対人関係を良好に保つ努力を怠っていない」
と述べています。
別にこれを超一流企業は云々といいたいのではありません。
まあいいや、どこかで本音と建て前と思っている本音さんへ。
要はいい会社で安定した生活がまず優先だろ。と思う人がいたとして、
それにはこの対人知性「共感力」「思いやりのセンス」が必要ですよ。でもいいです。
たぶん、第一のタイプはその重要性もあって、努力はしているのでしょうが、
基本と方向性、方法論に問題があったのでしょう。結果として。
私が言いたいのは、それもこれもすべてみんな自分に跳ね返ってくるってことです。
「幸せ」とは個人的なもので「100人いれば100通り」ですが、
その個人個人に、普遍的に幸福感を刺激する作用が確かにある。
人間は認められたい。
他人に、社会に、そして自分自身に。
そのために「自己受容力」が必要で、この「共感能力」から、
「コミュニケーション能力」という行動に出る。
以前、宮城谷昌光の言葉を借りて、本当の頭の良さとは観察力(洞察力)と
記しましたが、「共感能力」とは私たちのアンテナのようなものです。
自分自身のことが精一杯でとても他人の事などかまってはいられない。
という人もいるでしょうが、順序立ててよく整理してみてください。
その個人主義には解決の糸口はありません。
ここで、話を「同情」についての考察に移します。