あかんたれブルース

継続はチカラかな

同情を危険視する医療マニュアル

情動の知性(4)共感能力(其の三)



 私の手元に『日本人のためのEQ入門』という本があります。

 著者は町澤静夫さんという精神科医で心理学者。医者です。
 「入門」としていますが、
 本の中身は彼の問診や患者さんの治療の過程のケーススタディになっている。

 ここが問題です。悪い本じゃない。決して
 けれども「入門」ってタイトルから手にした読者は戸惑うのではないか?
 この辺りの企画構成の「?」はスピリチュアル系の宗教本にも感じますが、
 編集者のお手軽さを感じてしまいます。
 普段読者ターゲットにうるさいく口やかましい彼らだからこそ。
 いったい誰に向けて発信しているのか?

 そのなかで、共感と同情の違いを紹介している。

 ここでは同情は悪役になってしまっている。共感はいいけれど同情はダメ。

 なぜなら、同情には相手を励ましたり慰めたりという行動が出てしまう。
 そこに上下関係が生まれるいるから。

 この同情についても注意して読むと専門医の患者に対しての姿勢。それは、
 カウンセリングの在り方であり、落とし穴を言っている。
 私たちは精神科の研修医じゃないからね。

 この本には確かにためになることはたくさん書かれていることは認めるけれど、
 「入門書」とするならば、また一般読者の「EQ」能力の紹介とするならば、
 ここら辺をはっきり明記しないと誤解のもとになります。
 その意味でも、また別の観点からも「同情」に対する町澤氏の解釈には納得できない。

 以前ここで「頑張れ」のエールを禁じる言葉狩りに似ています。
 これも医療マニュアルから出たものでした。

 私は「頑張れ」云々を言う言わないは別に、それが医療マニュアルから出ていることに危惧を感じたのです。
 発端は共通の知人が鬱に陥って、その話題から
 「馬太郎さんそういう場合は頑張れって絶対言っちゃダメなんですよ」って
 嬉しそうに言ったキャリア女子の言葉から。

 へえ、そうなの。とその場は聞き流しておきましたが、
 昨年、あるブログを中心に「頑張れって言わないで」の連呼大合唱大連立には正直あきれたものです。

 ここで、はっきりさせたいのは私は絶対に「頑張れ」とは言わない。
 言うかもしれないけれど、時と場合と相手を考えると思います。
 その医療マニュアルの存在を知らなくても闇雲には絶対使わなかった。

 それは人付き合いの中での基本的な姿勢とか思いやりとか
 人生の機微のような言葉のセンスのようなものです。

 たぶん、こういうのが共感能力というのでしょうが、
 持って生まれたセンス以上に、それは経験などで磨かれていってしかるべきだと思う。
 そういった言葉の綾がわからない人は若者だけでなく大人にも老人にもいます。心掛け次第でしょう。

 個人差があり、だからこそ能力と言われる所以なのだと思います。

 同情。

 この言葉も誤解を受けている言葉です。

 「同情なんて御免だわ」というドラマのお約束の台詞は、
 「私と仕事とどちらが大事なの」と同様に流布され浸透されました。

 だから野島伸司は『家なき子』で敢えてこう言わしめたんだ。
 「同情するなら金をくれ」と。逆説的に

 同情とは私たち人間の健全な情動です。

 そして私は誰でも彼でも同情なんてしません。

 そこにまだプライドが残っている人間には共感はするだろうけれど
 同情は決してしない。

 けれども世の中には本当に傷んで同情を必要としている人もいる。

 それをどう見極めるのかが共感能力にあると思います。

 そこには余計なお節介や大きなお世話の心配も上手な駆け引きも無用。
 自己満足なんて外野の戯言と思えるでしょう。
 大切なのは本当に同情すべき人を察しられるかどうか。

 少し、本論から外れましたが、共感能力とはそういった察する感性であり、
 人間の観察力とは、そこにあります。

 上手に格好良く接して生きようなんてところには
 本当の共感能力は育たない。