あかんたれブルース

継続はチカラかな

コミュニケーション能力の前に重要なこと

情動の知性(5)コミュニケーション能力(其の三)



 本来、人間関係を構築するうえで重要なコミュニケーションが
 議論という言葉を隠れ蓑に「勝ち負け」を目的に行使されている。

 なぜか。

 ひとつは理解できない他人が恐いから。
 そして、自分に自信がもてないことから相手を拒絶することでバランスを保とうとするからです。

 人間は分からないものに恐怖心をもつものです。
 暗闇を恐れるのは太古の昔からそこに得体の知れない猛獣がいる記憶の名のこりですが、
 私たちは自分の内と外に暗闇を持っている。

 恐怖心はヒステリーを生み、そして自分より弱い人間を捜します。
 イジメの問題もここにあるんでしょうね。これは後でじっくりやります。


 九州の方言に「バッテン」というのがあります。

 長崎なんかでよく使われていますよね。
 その語源をbut then とする説もありますが、はたしてどうでしょ。

 長崎のそれは理知的な懐疑のニュアンスがありますが、
 有明湾を渡った熊本では自己主張と反骨に彩られています。
 熊本県人は議論好きです。そのため何もまとまらない。
 議論とための議論になってしまってしまう。ここに議論の問題点があります。

 薩摩人はこの議論を嫌いました。
 これは逆にいうと薩摩人がいかに議論好きかということであり、それを戒めたものです。
 「議を言うな」という掟です。
 そしてこの超現実的な民族はカリスマ的なリーダーを求めます。
 これを「鹿児島ビッグライト」といい、剽悍な野犬のような群はここに寄り集まる。

 この薩摩型のリーダーは無口です。茫洋としている。
 

 こういうのを人徳と解釈する人もいますかね。

 中国の漢の劉邦やその末裔とされる三国時代劉備のタイプでしょうか。
 なにも言わなくても人が集まってくる魅力。

 いやむしろ、多くを語る人よりも語らない人の方が魅力がある?

 話がリーダー論にずれてしまいましたが、
 私たち少し以前までなら「おしゃべり」に警戒感を持っていたはずです。
 ところが、いつもの間にか饒舌で声の大きい者が天下を獲るような錯覚に陥り、
 自らもそれに向かおうとしている。

 人間関係に重要なのは「信用」だったはずです。
 多くを語りすぎると、言行一致の法則から外れてしまう危険性を危惧していたのに。
 実際に信用に対しての価値が地に堕ちてしまった現在。
 そのことを改めて確認する必要に迫られているわけですかね。

 パフォーマンスだけでは決定的な決着をつけることはできません。
 
 それでも今現在、組織のなかでこのパフォーマンスだけに奔走する人たちは多い。

 四半期決算であろうが何であろうが下方修正されれば株は下がります。
 人間の信用の話として、信用を回復するのは並大抵のことではありません。
 たとえ折り込み済みであろうとも、既に折り込まれていることの方が問題。

 コミュニケーション云々の前に、まず信用ということを再確認してみることが重要だと思います。

 それは至ってシンプルのことです。

 約束は守る。

 できない約束はしない。だからこそ言葉は慎むべきものです。