情動の知性(5)コミュニケーション能力(其の七)
ちょっと話を戻します。
先週のアップさせた「こだわり」についての補足、蛇足です。
常々私たちは「こだわるな」と諭されます。
そうは言ってもこだわりを持たずに生きていけるものなのかと思ってしまう。
人間にはどこか一本芯がないとモロイものです。
どうも何につけても解釈が両極端でいけません。
だから中庸が肝心なのですが、それさえも真ん中って発想から抜けられない。
要は自分なりに考えて、
どうでもいい「こだわり」は捨て、どうでもよくない事には「かだわり」を持つ。
その判断が心の知性です。
もともと「こだわるな」の発信源は仏教からのもの。
人間の苦しみを「愛別離苦」と位置付けました。
私たちの一番の悲しみや苦しみは愛するものとの離別にあると。
だから、愛するな。といいます。
坊主さんが結婚しないのもここから。宗派によって違いますけどね。
苦しむから愛さない。それもまた困ったものです。
誤解しないでください。これはお釈迦さまが出家に伝えた言葉が、
その入滅後に出来の悪い弟子達が伝えたもの。
その対極の苦しみに「怨憎会苦」というものがあります。
こちらは、ここで会ったが100年目。
人生は邂逅にあると申しますが、嫌な出逢いだってあるという
それは含蓄のある言葉の由来であります。
馬さん、人生のお味って?
そう、濃縮還元グレープフルーツジュースのようなものじゃな。
その心は?
甘く酸っぱく、ほろ苦い。ジャーン
「こだわり」について(汗)
どうでもいい事とそうはいかない事との判断は
自分で選別しないといけません。
人間はついついそれを自分だけを責めたり、相手のせいだけにしたりする。
コミュニケーション能力、いやこの場合だと障害と云ったいいかもしれません。
ここに結果として保身というものが生まれてしまう。
客観的に正当に前向きに物事を判断しないと
とても危険です。どんな名言も真理も罠になる。
答えはふたつにひとつでも
考え方を究極の選択にすることはないと思うのですが、
ツーか、もっと考えろよ(汗)。
というところで、どうでしょ。