あかんたれブルース

継続はチカラかな

「デートDV」遂にここまでパンチDEデート(痛ッ)

情動の知性(5)コミュニケーション能力(其の九)



 こういったものをコミュニケーションって言っていいものやら。。。

 先日、ニュース番組の特集で「デートDV」なるものを取り上げていました。

 私もはじめて聞く言葉。

 要は夫婦や家庭間でのDV(ドメスティックバイオレンス)ではなく、
 交際中の恋人同士間に起こっているDVの問題が拡大しているようです。

 ストレス社会が大きな原因なのでしょうが、
 「手をあげる夫」っていうのは昔から存在します。酒乱も
 最近では妻からのDV被害も多いとか(汗)。

 問題はさ、その暴力を受けた後に、償いなのか反動なのか、なんなのか
 とても優しくされるギャップに愛を感じてしまう被害者の心理もあるようです。
 それは加害者にしても同じ。
 倒錯する歪んだ愛のコミュニケーションはお互いを精神的に蝕んでいく結果にしかなりません。

 暴力行為は言葉の暴力や性的暴力も含めて精神的暴力を相手に強いる結果になります。

 こういった行為は先天的な性格もあるでしょうが、
 大半は社会への適応能力のなさから生まれています。

 そこに矛盾とストレスが生まれる。

 人間はそのバランスを保とうと我が儘がいえる相手を捜します。
 身近な人になるわけです。

 また、自分よりも弱い立場のあることも前提となるでしょう。

 人間は誰しも認められた。
 ところが、それはそう簡単にはいきません。その鬱屈を力で発散させようとする。
 
 妻や家族を支配させたい。
 本来はその甲斐性や愛情表現や人徳みたいなもので
 それは自然に生まれるものでしょうが、そうならない。
 キレるわけだ。

 幼児虐待の原因もここにある。

 そして、ついには婚姻関係を結んでいない恋人同士の間にも
 この問題は浸透してきたのかと、溜め息。

 言葉の暴力は家庭内を越えて職場でも問題になっています。

 ここには役職や肩書き、取引先など、様々な上下関係がありますから
 自分に対しての弱者を見いだすのに不自由はしないでしょう。

 実際に自分自身が被害者だと感じてのストレスもあるでしょうから
 そのはけ口の場にうってつけなのかもしれません。

 稚拙で、非常にレベルの低いことですが、
 行使している本人がその重大性に気づいていないことが恐い。
 その結果は必ず自分に降りかかってくることを知らない。

 こういうのをコミュニケーション障害というのでしょうね。