情動の知性(5)コミュニケーション能力(別件逮捕)
ひろさちやのオッさんが面白い問題を出してくれていました。
もしパンが一個しかない場合の二人はどうする?
1.) パンを増やすように努力する。
2.) 一人が食べて、もう一人は食べない。
3.) 二人で半分ずつ。
4.) 二人とも食べない。
だいたいは(3)が圧倒的に支持されます。
(1)(2)は政治的な解決方法で、(3)(4)は宗教的な解決方法だという。
そして、日本と日本人は(1)を選びました。
パンはふたつになりました。豊になったのです。
イケズのひろさんはさらに追い打ちをかける。まるで知的サラ金取立屋(汗)
勢いあまってパンは3個になった。さて、どうする?
これが現代のすべての問題点なんだろうなあ。とハナをほじくる
そういえば。。。
昔、「別冊マーガレット」にくらもちふさこが作品を掲載していた頃。
私が高校2年か3年か?『冬・春・あなた』か『わずか1小節のラララ』だったかな? (1977〜8年頃)
主人公の女の子
(多分高校生。「別マ」や「りぼん」は女子中高生や増せた小学生とオタク男子がターゲット)
が、
「みっつのクッキーって苦手だな」と呟いていたっけ。
残りの一個の扱いの煩わしさ。
くらもちふさこは70年代から始まる少女マンガのニューウェーブの代表的な作家です。
団塊の後世代といわれる我々を「やさしい世代」と位置付けるのは
この少女マンガとニューミュージックのせいだとしても
過言じゃない。
このヒロインも優しく、遠慮と戸惑いに包まれた思春期のステレオタイプでした。
こういう感性を日本の民度の向上としていいものか。。。
とにかくも、団塊世代のようなガツガツしたところがない善良な者たちです(汗)。
お互いに一個ずつはパンを確保できる豊かさ。そこに餓えは存在しない。
けれども、残りの一個をどうするか?
再度、努力して4個にする?偶数だったらそんな問題はおきない?
そうは問屋は卸さないようですよ。
双方には双方の権利というものが生まれてきました。
私には然るべき権利ある。3個もらってよい権利がある。
あのヒロインのモラトリアムな感性とは別に、違った欲求が芽生えてきます。
もう、団塊だ新人類だしらけ世代だ、なんて区分けできない。
日本人の変容の分岐点は1970年代にあるようです。