情動の知性(5)コミュニケーション能力(別件逮捕-2)
昨日の記事。3個のクッキー(パン)を二人で分け合うの段。
ざっくんから「1個半ずつ分けるではダメですか?」のコメント有り。
ダメじゃない。
多くの日本人がそれを選択します。
このポイントは一個のパンを二人で分け合うのではないこと。
それぞれに一個のパンは確保できたので餓えは存在しないこと。
一個で足りたものが余計にあったとして均一にそれを分けあう。
そこには平等精神がありますよね。悪いことじゃない。
そのうえで、なぜ、くらもちふさこは3個のクッキー(パン)は
「苦手だなあ」
と主人公の言葉をかりて呟いてしまったのか。
その相手が彼氏だったかどうかは憶えていませんが、
仮に親しい間柄の人間だとしても彼女の「苦手だなあ」は解決しなかったと思います。
遠慮でしょうかね。美徳とか。
この逸話を呈したひろさちやは日本の経済成長から生まれた「豊かさ」の
「危うさ」について問題を提議しています。
そこには平等精神と当然の権利があり、前向きな発想として豊かさを謳歌しようという風潮もある。
それを欲望と解釈にすることには抵抗があるかもしれませんが、
三つ目のパンはさほど必要なものではなかったにも関わらず。
論語に造詣の深かった渋沢栄一は言う
「(人間)足を知れ」
ひろさちやはもっと仏教的に二人とも食べない布施の精神を説きます。
とは別に、
くらもちふさこの抵抗感を考えてみれば、
そういった時流に対してのものもあったのでしょう。が、
それ以上に、
それを交渉して三つ目を半分に分けるというコミュニケーションが疎ましかった。
ホントはその彼氏とか友人とワイワイガヤガヤやって
「私に頂戴?」とか「じゃあ半分コね」とか「馬君にあげるよ」とやりたい。
が、なんとなくそれが、できないんだなあ。ふさこは。。。
その作品の設定が戦前や戦中の貧しい時代とか終戦のどさくさだったら
こうはいかなかった。ましてや日本じゃなかったら。
豊かさは民度を向上させます。
中国のディズニーランドとは異なり、
東京ディズニーランドの行列で割り込みして喧嘩沙汰になることはない。
くらもちふさこの戸惑いには
そういう時流のなかで上手に適応できない嘆きなのでしょう。
それは決して少数派だったとは言えないと私は思うのです。
急激な社会変革は民衆というものを疲弊させてしまうといわれます。
バブル経済以上に、1970年代の社会変動は大きかった。
万国博覧会から日本列島改造論に沸き、地価の高騰から狂乱物価のインフレ。
そして、オイルショックがトドメを刺します。
そして あの頃 戸惑った 乙女たち 今は中年バリバリ。