コミュニケーション能力(マー君の場合-6)
コミュニケーション能力のお話ですよね(汗)。
ここで再び、歴史のタブー。「歴史のイフ」です。今度は真面目に(?)・
もしも、旅順攻撃がマー君伊地知のコンビじゃなかったら?
誰が担当しても、旅順要塞は叶恭子のままです。でもね、私は考えてしまう。
因みに、その他の軍司令官と参謀長を紹介しましょう。
第一軍、司令官・黒木為禎(薩摩)天才的な戦術家
参謀長・藤井茂太(兵庫)日本で一番優秀な参謀
第二軍、司令官・奥保鞏(小倉)薩長以外で絶対の信頼を博した名将
参謀長・落合豊三郎(島根)慎重冷静な気骨の参謀
第四軍、司令官・野津道貫(薩摩)従来の無理攻めを反省して着実確実型に。薩摩の重鎮。
参謀長・上原勇作(一応薩摩)野津の娘婿。工兵(土木)が専門。
各司令官の共通項は「戦上手」。この称号は残念ながらマー君にはない。
黒木と野津は薩摩出身で司令長官の大山巌を「弥介」と呼んではばからない。
年齢的の同年代。児玉なんて洟垂れって感じ。
その意味で、第二軍の奥が旅順攻略の前哨戦にあたる南山攻略で、司令部の命令を拒絶した態度は重要なポイント。
そんな攻撃ができるか! 重砲がなければ攻撃はできない。
そして海軍の協力を得ている。
それは参謀の落合も同様。遼陽会戦では総参謀部と激しく対立。
それが原因で井口・松川が結託して彼を左遷させようとする。気骨と記したのはそのため。
第一軍の黒木と藤井も参謀本部とは度々衝突している。
第二軍の野津は恐い。陸軍で彼に意見できる人は皆無。
参謀の上原は総司令部に文句は言わないだろうけれど、野津はイエスマンには絶対なりません。
それと上原は工兵のスペシャリストなので、最初から正攻法(土木トンネル工事)を採用した可能性大。
以上の理由から他の三司令官が無理攻めをしたとは考えられません。
特に黒木と野津ならば、
たとえば第一回攻撃途中かその後に、総司令部の大山総司令官に
「弥介、話が違うじゃないか!」と電話入れた可能性は高い。
こんな要塞攻め止め。って金州南山に下がって旅順を包囲したか。
西方の203高地からの攻撃に切り替えた可能性は高いですねえ。
戦上手の美学もありますから。
あと、この三人の参謀たちが三日間攻略作戦を計画したとは考えにくい。
それと、たとえ計画してもこの三司令官がそれを認めたとは考えにくい。
第一回総攻撃の第一日目の失敗から、そのまま力攻めを敢行したとも考えにくい。
そして、総司令部に「あとちょっと」なんて希望的観測を報告したりしない。絶対に。
でも、マー君はそれを許した。
マー君はいい人。いい司令官を目指しました。組織の「和」こそが重要だと。
どうせ、作戦は参謀が考えますから。彼らがノビノビやりやすいようにと。
で、参謀部はマー君をなめたな。他の参謀部よりも質が低い。
マー君には他の三人の司令官のように総司令部に直接交渉なんて出来ない。
武人たるものただ命令に従うのみとストイックです。そこに美学を感じてる。
なんだその美学は!
そして、闇雲に倒れていく兵士の姿に狼狽して退却命令を出します。
そのタイミングが悪くて、その退却時にたくさんの兵士が倒れる。
マー君は優しい。けれどもそれが禍して悪循環のラビリンス。
センスがないんだね。
第三軍は総攻撃三回。数え方によっては四回のワンパターン攻撃を繰り返し、
結果的には旅順を攻略しますが、戦死者は約1万6000名を数える。
(死傷者総数は5万9304名)
日露戦争の戦死者は約4万7000名。海軍の要請は高くつきました。