あかんたれブルース

継続はチカラかな

アカペラで想いだした津軽海峡の景色

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 先日なんの気なしにテレビを観てたら
 「全国青春アカペラ甲子園 ハモネプリーグ」なるものに遭遇。

 以前、たま〜に、ちらっと観たことはありましたが、春の特番でやってました。
 
 前半しか観ませんでしたが、上手いものだと肝心。
 アカペラっていうと山下達郎のアルバムを想いだします。

 その番組出場の東大生グループが演歌を唸ってました。

 曲は「津軽海峡冬景色」

 沁みた。そして、一冊の本の記憶が蘇る金狼。

 
 季節はずれの吹雪が舞う青森港、青函連絡船の長いホーム。

 昭和四十三年四月二十日、早朝。

 そのホームで、男女九名のグループが、寒さに震え上がっていた。

 男は三名。コートなしの派手な上着をはおった二十代の若者。

 女六名は、いずれもこれもコートなしの十代だったが、

 うち一名は、歩くのも大儀そうな臨月間近な身体。

 全員がペラペラのスカートに原色のセーター。

 男たちは、ヒモで縛った柳行李を抱えたり、背負ったりしている。


 上野から仙台へ。仙台で一泊し、仙台から鈍行列車を乗り継いで青森へ、

 北へ、北へと流れてきた一行である。

 「寒かねえ、寒かねえ・・・」


   上野発の夜行列車おりたときから 青森駅は雪のなか

   北へ帰る人の群は誰も無口で 海鳴りだけをきいている


 後に石川さゆりの歌う「津軽海峡冬景色」を聴いたとき

 そのグループのリーダーだった矢野浩祐は

 思わず膝を打ったものだそうです。

 これは日名子暁『ストリップ血風録—道頓堀劇場主・矢野浩祐伝』 (幻冬舎アウトロー文庫)
 のイントロ部分を借用しました。

 とても切ない血風録です。情景が胸に焼き付いてはなれない。

 矢野浩祐は九州の暴力団「草野一家」の組員でしたが、
 工藤会との抗争にケツを割り遁走。興行としてのストリップ業界に身を落とします。

 「本番無しでも客を呼べる伝説の道頓堀劇場(東京・渋谷)の小屋主に」

 という解説文がありますね。その実録伝なわけです。

 道頓堀劇場というのは渋谷の道玄坂の中程にあって、

 「百軒店(ひやっけんだな)飲食街入り口」というアーチがありましてね。

 それをくぐると右手のすぐ先にあった。よく行ったものです。

 いや、行ったのはストリップ劇場じゃない。その向かいのラーメン屋。

 なんて店だったかな。有名店です(汗)

 この辺、やくざが多くてね。たぶん、そのラーメン屋の上は組事務所じゃなかったかな。

 この「道頓堀劇場」はもうありませんが、この本。いいです。

 いまならアマゾンの中古で「1円」で入手できる。送料は340円かかっても価値は十二分にあるぞ。

 馬太郎が自信を持ってお薦めします。


   私もひとり 連絡船に乗り

   こごえそうなカモメ見つめ泣いていました

   ああ津軽海峡・冬景色

 




本の画像が小さかったね(涙)