あかんたれブルース

継続はチカラかな

幸せになるための方法として

心と体(7)



 ヒノキの大樹の下で、私は太い幹に寄り添っていた。

 まるで恋人と相対しているかのように。

 私はゆったりとくつろぎ、何かを語りかけながら、

 その幹の表面を大きく指をひろげて掌で、愛情を込めて愛撫した。

 やがて大樹は私のしぐさに反応するようになり、

 ゆっくりとしたこまやかなうねりのようなものの交流が
 見えない次元でおこりはじめた。

 私とヒノキの大樹。

 このふたつのものは強く結合して、反応しあって、
 完全に一体となり区別というものがなくなってしまう。

 私の体内に少しずつ、大樹のもつ植物のエネルギーが満ちていった。

 私はそのあふれる感情に浸りながら、溺れることなく
 意識を集中させていく。

 私の感受性は広く繊細な植物性の宇宙的次元まで拡張されていく。

 理論や思考や感覚といった皮相的なものを越えて。

 私は大脳となり、大樹は感受するアンテナのように。
 それぞれが役割を分担しているようだ。

 「ああ、そうだったね」

 私は思わず呟いてしまった。
 爽やかな風とともに、あるインスピレーションが浮かびあがっていた。





 
 念のために、この大樹って男性じゃないですよ(笑)。
 正真正銘の植物。木です。

 試み考え方、修行によって、大気中のアワ(陽電気性)を
 取り込むことができるそうです。

 本来はそれが性行為によって栄養交換されるのですが、
 正しい在り方を知らず、
 直線的・短絡的な快楽に乱用して効果どころか疲弊する結果となっている。

 そんな感じなんでしょうかね。

 スキンシップ、たとえば手を合わせるだけでズンズンくるみたいです。

 相手の存在を確認するだけでも、見つめあったり、想うだけでも。

 ええ? 誰と?

 そりゃ、愛する人。そういう特定な相手ですね。誰でもかれでもじゃない。
 愛する人がいることは素晴らしいことなんですね。
 だから、愛されることばかりを求めないで、もっと愛することが大事。

 それと、そういう交流を通じて、インスピレーションを得られる。
 アイデアなどの閃きが生まれるそうです。
 クリエイターの人にはこの点は重要だと思います。

 瞑想とかに似ているようですが、少し違うのかも。
 また苦行による到達とはまったく違う。

 こういうのもあるんですね。

 アメリカインディアンとか太平洋の島々の民とかは治療法として
 使っていたそうです。
 人間の治癒力とか免疫力の補強になるのでしょう。


 こうしなければいけない、こうなければいけない。
 そんなストイックなものではなく、「御利益」とか「健康法」と考えても結構。
 これも幸せになるための手段。重要な手立てとして






一応、ここまでを一区切りとして結論とさせてください。
後は、付随することを気儘にアップさせていきます。



今年の始めに「易経」から大きなヒントを得ましたが、
今回のこれも凄かったな〜あ。
これまで躊躇していた事柄などを整理していってみたいと。思います。
参考にした資料は「謎のカタカムナ文明」阿基米得(徳間書店)1981年