あかんたれブルース

継続はチカラかな

なぜキスを求めるか

心と体(番外-1)




 愛の確認? 情交のイントロダクション?


 馬あれ?いずる悩み。いや「生まれいずる悩み」だな。有島武郎

 どうもね、赤ちゃんの授乳に関係あるのだといいます。

 人間は愛がないと生きていけません。

 誕生して、母親の温もりを感じる。母乳を吸う行為が一生つきまとう。

 成人しても煙草とか口紅に形をかえて、たえまなくお喋りをする。

 そして、キスをします。

 触れること。スキンシップも大切なコミュニケーションですね。愛の。

 求めてやまないのが愛なんだな。
 愛がなければ死んでしまう。ウサギだけじゃないのよ(涙)。ウナギじゃない。


 愛というものは母親の慈悲から生まれていると以前書きましたよね。

 愛は悲しい。

 そして、私たちが求める愛には、母親の残像が大きく影響しているようです。

 この世に、泣きながら生まれ出てきて、その不安を払拭してくれた
 母親の温もりと乳首の記憶は、愛の指針になっているようです。

 たとえ、親離れしても、求めているのはそういった安息なのでしょう。



 「セックス障害者」だったかな、多分そんなタイトル。
 幻冬舎アウトロー文庫にあるはずです。

 その障害者のなかに、通常のセックスが出来ない、
 マグロで仰向けの若者が登場する。

 彼らはリアルな恋愛とセックスを知らない。風俗オンリーなのです。

 放出の極致、極論ですが、これも現実です。
 でも、これじゃあ愛の栄養失調にもなるよね。

 なにも性行為だけにこだわることはない。
 ちゃんとした愛の交流があるかどうかが、問題かもしれません。

 だけど、個人主義ですからね。

 恋愛ラブラブ4年説も、性の乱用という誤解から考察すれば
 辻褄もあうわけだ。

 愛とセックスを切り離して考えなくてもいいんです。

 だから、アホな映画監督が「濡れ場」に芸術性を表現する姿勢には
 少し、冷ややかな眼差しを向けても結構。たとえば日本映画。

 『異人たちとの夏』 あのとって付けたような濡れ場も蛇足。
 伊丹十三の『お葬式』での愛人役良子(高瀬春奈)の無様な図も、
 ましてや大島渚の『愛の名犬ラッシーだ』も戦後の勘違いの徒花です(涙)。
 そんな芸術なんて屁のようなものです。ピー!(なんという音(涙))

 表現の自由の問題じゃない。
 作品の出来不出来。監督の力量の問題と配給会社の姿勢だな。

 『サード』とか『祭りの準備』なら分かるよ。すっごくよく分かる。
 違いの分かるゴールドブレンド。結局インスタントですが砂糖とミルク入れてね。


 それよりも もっと重要なのは「笑い」だ。