あかんたれブルース

継続はチカラかな

ヤマアラシの悩みとお腹の話

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「 寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、
  針が刺さるので近づけない。
  そこで離れるが、やっぱり寒いので再び身を寄せ合う
  そうした紆余曲折の末、両者にとってちょうど良い距離に気付いていく 」


 幻夜さんの記事から「ヤマアラシのジレンマ」を拝借。
 ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話による
 「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマをさす。

 のだ、そうです。参考にさせてね、とお願いしてから
 アップさせるのに一ヶ月を要してしまった(汗)。


 中国人の劉さんが、日本に来て、色々失敗を繰り返して見いだしたのは
 「日本人と付き合うときは一定の距離感が必要」というものだったそうです。

 まあ、ガサツな福建人と薩摩人は肝に免じて刻んでおく必要はあるでしょう(酷)。

 そりゃね、ショーベンのハウアーユーが唱えることに、
 私なんぞが異議申し立てをしても却下グーグルドゥーでしょうが、(これは鶏の鳴き声の洒落)
 まあ、語らせて(涙)。

 以前、どこあの誰かさんが、人間関係の難しさを嘆き、
 この間合いについて恨み言を綴っていた。

 また、コミュニケーション能力の記事をアップしているときに、
 内緒で、何人かの馬太郎シスターズにリアル世界での人間関係で、
 本音で付き合っているかをリサーチした。
 結果は「ノー」。そんな事いい歳をして、しない。

 現在の私たち日本人は人間関係の上手な方法論の第一に、
 この「間合い」を考えているようです。

 それが、5mなのか50cmなのか、5mmってことはないか(汗)。
 まあ人それぞれです。が、よ。

 問題は相手とのこの一定の距離感じゃない。

 その手前の自分との距離感にあります。

 相手に対してよりも、
 自分に対しての踏み込まれることに恐れと不安を感じている事実だ。

 そのたとえば50cmは絶対に50cmでなければならい鉄の法則がある。

 だから、踏み込むことよりも、交わす引くことに神経をとがらせてしまう。
 常に緊張感を有しているようです。NOと言えないのです。早い話が。

 みんなそういう窮屈で難儀なルールで接しあっています。

 この間合いっていうのが難しい。実は、これがくせもの。

 剣術でもよっぽど精通しないと、相手との間合いは分かりません。

 人間関係に対して、精通していないものが、
 この間合いを測れるわけがないのです。しかも両方向に。
 にも関わらず、間合いの難しさに悩んでしまう。

 不毛です。悩む方向性が違う。無意味。


 私たちはヤマアラシじゃない。人間だ。
 100歩譲って、ヤマアラシだとしましょう。でも知恵がるじゃないか。

 ヤマアラシの背中は針千本かもしれないけれど、お腹には針はないよ。

 寄り添いたければ、腹と腹でやればいい。

 なんで、それを考えない。


 とは言ってもねえ。という者がいる。

 阿呆! 悩んでいるのはそこなんだろ。
 工夫しろよ、生きてるうちに頭使わないでいつ使うんだよ。
 それに、その間合いを持続させるなんて無理だって。

 私たちは線路のレールじゃないんだよ。
 寄り添えば交差して泣き別れ〜えって、そんな馬鹿な話があるかショーベンハウアーユー。

 まあ彼もそんな意味でこの逸話を編み出したわけではないでしょうが、
 そういったものを処世術としてマニュアル化すると、
 振り回されてクルクルさんになります。

 「腹を割って」という言葉があうじゃないか?
 腹をさらせばいいよ。お腹とお腹。

 ええっ?誰にでも彼にでもそんなことはできない。って?

 いったい誰と寄り添いたいんだ?
 そんな博愛主義をいってるんじゃない。大切な人とでしょ。
 誰にでも彼にでも腹見せてお腹出してたら冷やして腹下しか風邪ひくよ。

 あまりにも自分を守ろうとする姿勢は
 時として、いや大いに、悩みのタネになります。
 悩みの原因はそこにある。