あかんたれブルース

継続はチカラかな

友人とのお金の貸し借り

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杉山茂丸伝(3)杉山の友だち●佐々友房[さっさともふさ]




 借金に対して日本人はとてもナーバスです。
 「友人の保証人になったばかりに」なんて筋書きのドラマも多い。

 さて、明治の偉人たちの多くは借金王でした。
 代表的なのは犬養毅とか尾崎行雄
 二人の子供たちが一緒にママゴトをすると、おかあさんおとうさん子供の他に、
 借金取りの役がいて、家財道具に差し押さえの札を貼っていくのだとか(涙)。

 小村寿太郎児玉源太郎高橋是清もみんな立派な借金王。
 みんな高利貸しから借りていたんです。

 杉山の盟友・頭山満もそうでした。
 で、杉山は、国士たるもの金に不自由をしてはならん、と炭坑経営を勧める。
 これが玄洋社の経済基盤になっていきます。

 ところが、若き杉山茂丸も日本一の借金王だった。
 抵当は自分の生首。向かった先は熊本の佐々友房。まったく面識無し。

 この佐々友房は戦国時代の佐々成政の末裔だとか。
 杉山は戦国大名・龍造寺の直系ですから可笑しいですね。

 佐々は西南戦争に西郷について監獄帰りの人。
 当時熊本で紫溟会を根拠に済々校を起こして
 九州熊本の青少年の教育にあたっていましたが、貧乏のどん底

 済々校って現在の熊本県立済々黌高等学校です。
 お笑いタレント「くりぃむしちゅー」の母校ですが、名門です!

 さて、傍若無人の杉山君は昼飯にほっかほか弁当の「のり弁」を食べる
 赤貧洗うが如しの佐々君に政府要人(伊藤か山県か井上馨)の首を獲からと
 借金を強要します。

 でもない袖は振れない。
 じゃあ、その掛け軸でいいよとそれを貰うとビリビリ破ってしまいます。
 酷いねえ。。。こんな女性知っています。「Y」という人。

 まあ話は間引いて、これが功を奏して借金は成立。
 大枚160円。抵当は杉山の生首。
 と同時に、朝まで駆け回った佐々の信頼を得るというおまけ付き。
 この時、杉山21歳。佐々は31歳でした。
 
 友情が誕生します。生涯続いた。金絡みだったのに。

 その後、杉山は伊藤博文暗殺に失敗。

 そして杉山を心配して上京してきた佐々に、さらに金を無心する。

 「君は首を抵当に入れているからもう抵当がないじゃないか」

 そういって、遠回しに断る佐々に、「いや、まだ体がある」と杉山。

 自分の体は二十二貫三〇〇目あって、首を差し引けばマイナス一貫目。
 これを牛肉値段に換算すれば17円4銭に成ります。

 だから10円貸してちょんまげ!

 佐々はそれを8円に値切った(汗)。

 旅先で佐々はマジでお金なかった。でも貸したんだよ(涙)。

 
 杉山茂丸はこうして佐々友房に首と胴体を抵当にいれました。
 残りの手足は9円4銭だそうで、後年、この残金を入れて、
 「ボクのすべてを所有しないか」という話しもあったようですが、

 そんなものを所有したら俺は破産するといって
 佐々は断った(笑)。
 ここで二人は大笑いをします。爽やかだ(涙)。

 時は流れて、政治家にうって出た佐々木友房が東京で貧窮していました。
 そこに現れた杉山は、保険屋の友人から利息計算をしてもらった。から
 ついてはボクの首と胴体を返してちょんまげ。
 代金は1832円成り。これで佐々は救われる。 

 そして、明治39年
 佐々が帝国党の首領の時に、国鉄国有案で二進も三進もいかない彼に、

 「ボクは二十歳くらいときに、君に首抵当で世話になった。
  その返礼にしかり働いてその解決をつけてやろう」といって実行します。

 これで佐々は救われる。

 二人の間には大笑いの人生の機微がありました。

 しかし、明治の人間っていうのは
 どうしてこんなに金銭に無頓着なんでしょうかね。
 相手にもよるでしょうし、みんながみんなすべてじゃない。

 それにしても、羨ましい。
 
 金の切れ目が縁の切れ目じゃない。
 借りが借りを生む。「仁義なき戦い・完結編」の台詞を想い出しました。


 明治39年は杉山にとって悲しい年でした。
 盟友の児玉源太郎が7月に急逝すると、その二ヶ月後に
 佐々も世を去ります。享年53歳。

 佐々友房は杉山の大切な友だち だったのだ(涙)。