あかんたれブルース

継続はチカラかな

貧乏旅館での静かなる出逢いと福音

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そして、杉山茂丸と頭山の出会いは

この出会いの時期は諸説ありますが、
馬太郎の研究結果では明治19年初頭。で間違いない。
杉山22歳。9歳違いなので頭山は31歳ですかね。
場所は新橋の田中屋という旅館でした。

杉山は頭山とは同郷でしたが年齢差もあり、
また同郷がゆえに避けていたこともあってか、この時が初対面。

その頭山といえば、当時貧乏の大底時代でして、
まあそれは杉山も同じですが、破れ障子のボロボロの旅館で
火鉢ひとつを間にしてこの巨人と対峙した。

最初はプレッシャーを感じたみたいですね。杉山も。

頭山がぽつりぽつりと語って、そして二人はうち解けていきます。

やがて日が暮れて、牛鍋を一緒に食べて、ランプ灯りの下で

ぽつりぽつり。

やがて、頭山はこう言います。

「 才は沈才たるべし、勇は沈勇たるべし、孝は至孝たるべし、

  何事も気を負うて、憤りを発し、出たところ勝負に無念晴らしをするは、

  そのことがたとえ忠孝の善事であっても、不善事に勝る悪結果となるものである。

  この故に平生無私の観念に心気を鍛錬し、事に当たりは沈断不退の行いをなすを要とす。

  あなたがたのお考えはどうか知りませんが、お互いに血気にはやって事を

  あやまらぬことだけは注意したいと思います。古歌に

  “ 斯くまでにゆかしく咲きし山桜をしや盛りを散らす春雨 ” という事もありますが、

  僕は有為の知人朋友のために、常に心でこの感じを持って、忘れる事ができません。 」


 杉山はこの頭山の言葉を恍惚として聞きました。

 それは彼にとって、天使の福音のようであったと言います。

 ちょうど伊藤博文暗殺に失敗した翌年の頃の話です。

 いままで、張りつめていた緊張が一気に弛んでしまったような、
 不思議な心持ちになったそうです。

 呆然として帰宅して、
 布団に入ってもなかなか眠れない。
 明け方、ハッと起きあがった。

「 大変だ、俺にはまだ大きな仕事を考えねばならない責任があった。
  また考えるだけの脳髄をも持っていた。それを仕遂げるにはこうだ。

  俺は今日まで自分だけの事を考えて、正に誤ったから、
 
  今日からは断然自分以外の事を基として

  人と世のために極力働くのだ。よし、分かった。極まった 」


明治維新という時代の波に乗り遅れた青年は、
己の青雲を「打倒藩閥政治」として、一人一殺のテロリストに成ろうとした。
そういう世代であり環境があったのですね。それは頭山も同じです。

人生は邂逅にありと申します。

この杉山茂丸という若者は、頭山満という男と出会い、
第二章というべき志を見いだします。
それは、一人一殺ではなく、「一人一党」というものに発展していきます。

また、現代人の我々がよく聞き逃さしてはいけない事。
「自分以外の事を基として、人と世のために極力働く」

そんなストイックな、なんて考えていけません。
これが真理であり、これこそが閉塞からの脱出なのだ。

そんな無理ですよ。なんて考えてはいけない。
明治の日本人に出来たことが、同じ日本人である私たちに出来ないわけがないもの。

それしか方法論はないのです。



杉山茂丸伝(3)杉山の友だち●頭山満[とうやまみつる](前編)

写真は晩年の頭山と杉山の火鉢を囲んでのワンショット。
若かりし頃、二人はこうやって語り合ったのですね(涙)。