あかんたれブルース

継続はチカラかな

年寄りにモテモテ。だからこそ

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もう一本だけ、頭山満やらせてください(汗)。

頭山がいい女にモテモテだったっていうのが先週までの話。

で、ね。

頭山はいい女だけじゃない。婆にもモテモテだったんです。
年寄りに好かれるのっていうのは大切な魅力なの。

かく言う、不肖・馬太郎の爺婆お釜殺しの異名を持つ
ナイスバディーにはからっきしのミスタースクイズ君でした(?)。
団塊の世代とは血で血を洗う抗争を繰り返しきましたが
ふたまわり上の諸先輩達からは可愛がられたものです。

そうそう話は頭山満でしたね。

頭山には二人の婆様の恩師がおります。

一人は玄洋社の生みの親で「にんじん畑の婆さん」こと高場乱。
以前、記事にしました。
FTMより、人参畑のばあさんが作ったカレーにしてね 」
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/24428347.html

その後に、土佐の民権運動を見学にまっすぐに歩いて道なき道を
途中で遭難して卵中毒に陥りながらたどり着いた土佐で知り合ったのが

「民権ばあさん」こと楠瀬喜多。

日本で始めて女性参政権を要求した方です。
その筋の人なら知っているかもしれませんね。

喜多は頭山の面倒をみました。可愛がった。
そして、頭山も喜多を大事にしたよ。その交流は生涯続きます。

喜多が上京するとその小さな体を抱き上げて、頭山は歓迎したそうです。
目に浮かぶなあ(涙)。

喜多が85歳のとき、頭山が「マダイキテイルカ」と電報を出すと

「イキスギテコマル」の返信を出す喜多婆さん。

数時間後に頭山は「セキヨウダイウケトレ」と150円送ったそうです。


玄洋社の生みの親、高場乱は心ない識者がみれば
国粋主義者右翼のレッテルを貼ることでしょう。(バカかおまえら!)

対して、楠瀬喜多は左翼か?(へそで茶を沸かします。アッチッチ)

杉山と頭山の共通の親友が中江兆民だったて話はしましたね。

頭山が右翼の元祖で杉山がその手下?


違うんです。きっぱり!

そういった、右とか左とかという発想では明治の日本人は理解できない。

歴史考察、人物考察に、時代という環境を見失っていけない。
そんな基本的なことを無視して
正義面する識者やジャーナリズム貧乏根性権威主義者が私は大嫌いだ!


頭山や杉山がいい女にモテたっていうのも
金を使ってとかその金の出所とか、そんなチンケな話じゃない。

頭山も杉山茂丸も女にモテた。が、男にもモテた。
そして、年寄りにもモテました。

そりゃそうですよね。いい漢だもの。惚れ惚れしますよ。

と同時に、頭山満には武士道というものを感じる。
恐い人ですけどね。とても優しい。

そして、親切である。

この「親切」というファクター。
杉山茂丸にも大いに感じるのです。
武士道と親切。こういところもいずれ語りたいと思います。





杉山茂丸伝(3)杉山の友だち●頭山満[とうやまみつる]
の前説の段「頭山祭り」(5)婆さまキラー頭山満

写真上が高場乱。下が楠瀬喜多。かわいい婆様ですね(笑)