築地本願寺の凱旋釜の石碑
ということで、
築地本願寺で児玉源太郎が処分してもらったという
日露戦争戦勝祝いの「凱旋釜」。
これを児玉に贈ったのが杉山茂丸です。
直径2メールの五石釜で千住の醤油屋が売りにきたのを
杉山が安く買って児玉に贈ったそうですが、玄関先をふさいで大変困ったそうです。
児玉はこれを桂太郎に押しつけようとしましたが、
桂はいち早く偵察にきて、仰天! 断ります。
しかたなく、児玉はこれを「凱旋記念奉納品」として築地本願寺に持ち込んだ。
それを知った杉山が「凱旋釜」と名付けて台座をつくって、
境内のすみにおくように寺と交渉したのでした。
現在はその釜はありませんが、「凱旋釜」の石碑は残っていました。
築地本願寺の職員の方に私はその「凱旋釜」と石碑の事(場所)を
尋ねましたがみなさん知らない。
「児玉源太郎」「日露戦争」「戦勝記念」などの言葉を入れて、
何を勘違いしたのか「凱旋釜」を「凱旋鍋」と言い間違ってしまった(汗)。
救世軍とゴッチャになりましたかね(涙)。
そのせいでもないでしょうが、
周囲に色々ありますから探してみてください。と言われちゃった(汗)。
石碑はすぐに見つかりました。
正門から西に20メールほど入った片隅にひっそりと。
なんてことはない石碑ですが、
在りし日の杉山茂丸と児玉源太郎。それに桂太郎も絡んで
お茶目なオヤジの悪ふざけの名残りです。
この三人が秘密結社を作って、日露戦争を牽引して、勝利させた。
そして最後にデカイ釜のババ抜き合戦をやったわけですね。
児玉源太郎はこの一週間後に死去します。