あかんたれブルース

継続はチカラかな

あいさつは仁義?




「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「おやすみ」
今日もどこかでかわされている挨拶。

でも、昨今はこの挨拶が苦手な人が増えています。

ひとつは、挨拶しても相手に無視されてしまうことが多いから。
それが拒絶され無視されたようで悲しくて傷ついてしまいます。
だから、相手に対して
「この人は挨拶しても平気かな」と考えてしまって、心配するから
タイミングを逸してしまう場合も多くなります。それがまた煩わしい。
負のエネルギーが相乗効果してスパイラルしていく。

相手はね、あなたを嫌ったなんかしているんじゃない。
あなたよりも臆病なだけなのです。


「挨拶」という文字は「肉迫する、摩擦する、衝突する」という意義で、
接触することを表すのだそうです。密着することを挨拶といいます。

その元は、「事宜(じぎ)」(事の宜しき、言葉の宜しき)からだそうですが、
要は「仁義」から転じたもの。

仁義をきるの仁義が挨拶なのですね。
寅さんの「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」のあれです。
自己アイデンティティーの確認っていうと大袈裟でしょうか。

でも仁義は仁侠世界からではなく、
論語とか儒教の教えであり、つまりは「礼」(礼儀)からなのですね。

中国・漢民族が社会を成り立たせるために最初に施行したのが、
この「礼」の普及。つまり挨拶ってことです。

したがって、挨拶ができない社会とは
「礼」を欠き「仁義」を欠いている社会ということになります。
無秩序といっても過言ではない。

こういったことから現在はモラルハザード社会になっているのと指摘されるでしょうね。




言葉の力(3)