あかんたれブルース

継続はチカラかな

風になりたい

イメージ 1




ブログをやめられなくなってしまった理由のひとつに
風さんとの出会いがありました。

息子さんを亡くされて嘆き悲しんでいる母親のブログに出会い
わたしはいてもたってもいられなかった。

その日から、わたしは風さんのブログにコメントを残すことようになりました。
その記事には息子さんが残した写真と息子さんへの想いを綴ってあります。
とても悲しい。
読んで泣いて、コメントを入れながら泣いていたものです。

わたしのほかにもコメントを入れてくれるやさしい人たちが既に数人いた。
風さんは「千の風になって」という歌から風を探していました。
息子さんを感じる風を探していた。
わたしたちは風になりたいと願いました。

ただ、わたしは途中からすこし気を揉んでしまったのです。
みんなが同様に風さんの悲しみ同情しているのですが、それをいつまで続けられるのか。

慰めの言葉にも限りがあるのではないのか。
風さんはどこまで悲しみ彼方で嘆き続けるのか。

わたしは慰めよりも風さんの息子さんの写真について語るようにしました。

それは花の写真です。

一眼レフで撮った花の写真にはファインダーから覗く息子さん優しさが溢れていた。

後で知ったことでしたが、風さんはわたしの母とそう年齢がかわらない。
そして急逝した息子さんもわたしと同年代だった。
わたしは風さんを「あかあさん」と呼ぶようになりました。

風さんはすこし元気を取り戻していきます。
それでも深い悲しみはときおり彼女を萎ませたりします。

わたしは風さんの応援団を作ろう、何人かの友人に協力を求めました。

それに応じてくれたのは5人。男性が2人、女性が3人です。
また、自分にはできないと断ってきた人も3人いました。
彼らが冷たいわけではないのです。
悲しみを恐れたのです。

それほどに途方もない悲しみがあったのです。

わたしたちは悲しみを恐れる。できれば避けてしまいたい。

やさしさには勇気が必要です。やさしさは強さともいえるものです。

情けを重ね合わせる同情。同情を恐れていけないのだと思います。

人は生かされている。

風さんのブログから、この言葉を知りました。
その本当の意味を考えることができたのです。




人は生かされている(1)