必要とされること
人が生かされていることを確認する以前に、
必要とされている存在であることが大きなファクターとなります。
わたしたちは誰しも必要とされいたい。
それは誰かの役に立ちたい。ためになりたいという人間の本能でもある。
人間の欲求・本能はまず衣食住を満たされることか始まり、
安全、安心といった不安を取り去ることを望み、
共同体に属する連帯感と愛情を求めます。
そして、認められることを願う。
そういったなかから在りたい自分、愛すべき自分を実現させたいする。
人を幸せにしたい。その笑顔をみたい。
人の役にったいたい。必要とされたい。これは健全な人間の本能であり欲望です。
それを偽善であるという者もいます。
それはそれを利用する者達への不安が駆り立てる衝動でしかありません。
そのようなことにわたしたちは耳を貸す必要はありません。
親切や同情はわたしたちの健全な本能なのです。
それを合理主義や個人主義で否定したとしても、なんら説得力のあるもではない。
そして、健全な欲求を満たすことがわたしたちの幸福感を満たすことになります。
欲というものを否定す生き方は自律神経を蝕んでいきます。
小さな目先の欲望に翻弄されるのではなく、
その先にあるもっと大きな欲望に目を向けるべきです。
決して見返りを期待するもではないけれど、
ただ嬉しい、気持ち良いだけのことですが、
そういうことを大事にできる自分。プライドをもって生きていける自分。愛すべき自分。
これが幸せなのだと思うのです。
そして、わたしたちは必要されたいと願っている。
だから、人は生かされているのです。
人は生かされている(3)