あかんたれブルース

継続はチカラかな

万歩計の福音

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バブル崩壊後もわたしたちは発展を信じていました。

キャリアウーマンの彼女もそういひとりだった。

夫婦共稼ぎでキャリアとスキルをアップさせていき、
中目黒に一戸建てを購入して子供を出産しても休むことなく前向きに挑んでいた。

稼いだお金で家政婦とベビーシッターを雇っているのだと語っていました。
それに意義があるのだと。

結局、夫婦の行き違いが理由で離婚。
直接の原因は夫の浮気でしたが、結論をだしてからの彼女は躊躇することなく一年後再婚。
中目黒の家は別れた夫がローンと共に引き取ったそうです。

彼女の話に矛盾を感じながらも黙って聞いていたわたしは、
デスクワークで勤しみながらスポーツジムに通いウィーキングマシーンで汗を流す
自分を思い浮かべていた。

効率のよく仕事が運べば気分もいいのですが、
その日のスケジュールが思うようにいかないとイライラしてしまう。

トラブルやアクシデントで急遽、相手先に足を運ばなかければいけないときはショックです。
それ以上に、デスクワークなら即、労働に換算できるのですが、
移動時間を無駄に考えてしまう。

そのくせ、健康のためといってお金を支払ってスポーツジムでウィーキングマシーンを使っている。

若い頃は、「仕事は足で稼ぐんだ」と意気込んでいたものです。
気難しい職人さんとの信頼関係を深めるための最良の方策でした。
信頼関係が結べるとイザというときに無理を聞いてくれます。
その信頼関係を壊さないために出来るだけそのイザいう時を少なくしようとも努めたものです。

社会人になった頃、まだファックスは普及していなかった。
携帯電話もなく、
それはごく一部の報道やイベント関係者が大きな無線機のようなものを背負っていたそうです。
自動車電話も高価でものだった。やがてポケベルが普及して携帯電話の時代が到来します。
そして何よりもネットによるメールの登場がわたしたちの仕事を変えました。

本来、便利になって効率よく仕事が楽になるはずだったのに、忙しさは加速した。

忙しさのあまり効率性ばかりを追い求めて心に余裕と冷静さを失っていた時機がありました。
「多忙」は心を心をなくしてしまう。

そんなときに、万歩計を普段から身につけることにしました。

一日一万歩。時間にして1時間10分か15分ぐらいでしょうか。
通勤の時に一駅手前で降りるとかじゃあなかなか達成できません。
一日一万歩を歩くのって大変なのです。

けれども、仕事で動くことが苦ではなくなりました。
それをマイナスとか非効率な事と考えなくなったのです。

ちょっとした工夫や考え方を変えるだけで、人間って不思議な生き物です。




生きる姿勢について(1)「万歩計」