あかんたれブルース

継続はチカラかな

祖父の雨やどりと弱い兵隊

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これがわたしの母方の祖父母です。
写真の裏には「昭和39年4月27日 父66歳 母64歳」と記されてありました。

ということは、祖父は1989年、明治31年の生まれですね。

児玉源太郎が台湾総督に就任した年、米国がスペインと戦争した年に
祖父は生まれた。

正義(まさよし)と名付けられました。

祖父は新屋敷という家の三男坊として生まれました。
この家は大きな鰹節製造業を営んでいました。そこは祖父の弟が継ぎます。
武家や農家と違い、漁師は必ず長男が跡取りとはならないようです。
祖父の二人の兄たちは北九州に出て独立します。

祖母は島津の士族の娘で、三姉妹の一番下でした。

「ひな」というやさしい名前。「雛」ってことでしょうか。
でも戸籍上は「シナ」になっています。いい加減なんですよね、この頃も(笑)。
美人だったとは思いませんが、とても気だてのよい女性で、
町内では「仏」と言われたひとです。
わたしにとても、とてもやさしい婆ちゃんでした。

祖父と祖母の家は道を一本隔てた斜向かいで100メートルぐらいの位置にあった。

祖父は祖母に恋をした。
雨に日に祖母の家の軒先にわざと雨やどりをして
そして結ばれたそうです。

なんとも明治とか大正という時代はロマンがありますねえ。
スヌーピーのハンカチを渡したかどうかは聞きそびれましたが(笑)。
大恋愛だったそうな。そして祖父は祖母の苗字にかえます。


祖父は徴兵で熊本鎮台にいったそうです。
(因みに父方の祖父は鹿児島の連隊)

明治男でとても厳しい人だったそうですが、わたしには優しく
よく膝に乗せてその当時の唄を歌ってくれた。
「熊本鎮台 糞鎮台 鉄砲持って 何処行っとが」
のんびりとしたユーモラスな歌でした。

唄のニュアンスは行進する鎮台兵を傍観する農民がバカにして囃し立てている。
といったシチュエーションです。
それを鎮台兵が歌っているのが可笑しいでしょ。

成長して、司馬遼太郎の「余談」で
熊本の鎮台兵の弱さを紹介した読み物でこの歌の意味を知りました。
2ちゃんねる近現代史では日本の師団でどこが一番強いかが話題になります。

一般的には九州の第十二師団といわれますが、異論を唱えるものは
広島の師団とか言い張ります。まっ、お国自慢の域をでませんけどね。
それでも大阪の師団の弱さは定評がある(笑)。
戦国時代に尾張兵の弱さ同様に、商工業の発展地域は、弱い。のかも(汗)。

乃木将軍は旅順攻略に
当初、出身の四国は善通寺の師団と東京の師団、そして近衛師団を指揮しました。

近衛師団も弱かったそうです。
一般には長身で見栄えのする若者が近衛兵になるといわれいますよね。
イケメンは弱いか。

乃木が旅順攻略で大きなパッシングをうけるのは
率いたのが東京の師団でその戦死者が必要以上に目立ったせいもあります。

まっ、実際にたくさんの戦死者を出したのは事実です。

そして、最強といわれた九州の兵隊のなかでも
熊本の鎮台兵は弱かった。

祖父は歌います。
「熊本鎮台 糞鎮台 鉄砲持って 何処行っとが」

時代は、第一次世界大戦頃ですね。




余談ですが、明治時代に世界で強い軍団は黒木の第一軍。
一番弱いといわれたのがブース大佐率いる救世軍でした(汗)。