婆ちゃんの愛の暴言
さて、爺さんより二歳年下の婆ちゃん。
「仏の雛婆さん」と異名をとった女性だ。
でもわたしが生まれた時には既に婆さんでした(涙)。(あたりまえだろ!
千葉に爺さんの弟の息子さんがいます。
事情があって本家の養子になりましたが義母とのなさぬ仲で、
雛婆さんの所に入り浸っていた。貧しくはあても薩摩芋だけはいつも茹でてあり、
わが子同様に可愛がってくれたと懐かしく語っております。
8人の子供を産みましたが幼くして2人の男の子を亡くし、
成人した3人も息子すべてを海難事故で亡くしました。
残ったのは3人の娘だけでした。
婆ちゃんはパンツを履いてなかった。
なんたって明治の女性だもん。
婆ちゃんの家からわたしの家まで100メートル以内の距離で、
よく遊びにきたものです。
その途中の往来の溝(下水)で立ちション便をしてたなあ・・・懐かしい。
拭かない。当然、手も。だって手は汚れてないんだもん。
で、ある日の午後。土曜日の1時半か2時ぐらいです。
わたしは学校から帰って昼飯食って、東映時代劇劇場までを
NHKの大河ドラマ「新・平家物語」の再放送を寝ころんで観ていました。
うしろのテーブルに母親と幸子と婆ちゃんが座って一緒に観ていた。
場面は、平清盛(仲代達也)が常盤御前(たぶん若尾文子)との会話。
常盤御前は清盛によって倒された源義朝の愛妾で義経の母です。
いまは清盛の屋敷に軟禁されている。といったシチュエーション。
なにやら大人の男と女が深刻に話している。大河ドラマ特有の暗いライティング。
突然、常盤御前が泣き崩れる!
そのとき、小学校低学年だった幸子が「何で泣くの?」
母親は何も言わない。わたしはなにも言えない。まだ中学1年生。
そのとき、婆ちゃんが行った。
「○●○されたからよ」
わたしは固まった。
○●○とは薩摩地方とくに南薩の我が地域だけで通用する方言で、
女性器もしくは性交渉を表す単語。
東京では「お○ん○」。大阪では「オ○コ」。
北海道では「もっ○ょ」だったか「へっぺ」だったかえええいどうでもいい。
それを婆ちゃんがぼそりと言ったわけだ。
長い沈黙。わたしはピアノ。鳴りません、弾けませんから(涙)。
そしたら、急に母親が怒り出してね。婆ちゃんを追い出した。「帰れ!」って
いやあ、あの時は参りましたよ(汗)。
数年前、幸子に聞かれた。
「昔さ、こんなことがあったよね。・・・
あのときなんで母ちゃんは怒ったの?婆ちゃんはなんて言ったの?」
それはな。と
わたしは「仁義なき戦い」の原作者美能幸三になった気分と語り口で
取材に訪れた脚本家笠原和夫に諭すように真相を語るのでした。
明治の人って素敵!
祖母の話(1)
さて、週末ですのでお待ちかねの下ネタでした。(待ってない(汗)
「もっ○ょ」は種子島です。
因みに鹿児島県市内は「ボ○」です。ボボ・ブラジル。で絶叫。
因みに因みにわたしたちの地域では
エベレストのカトマンズという地名がニュースで流れると絶叫します。
マンズワインなんて昔ありましたが、こちらでは流通されなかった(笑)。
しかしこれも近現代史になるんだろうか?