あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛のポーッ




人間に恋をしたら天使は死ぬ。

その掟を破っても天使は恋愛を優先させた。

なんと愚かな。

と思う人もいるでしょうが、人それぞれ。個人差、価値観の違いです。


恋は盲目かあ。溜め息がでますねぇ。

何度も繰り返しますが、わたしは愛と恋はイコールではないと考えます。

愛のなかに恋は含まれている。愛≧恋

発展形で表せば、「恋→恋愛→愛」に変容しているのだと思います。

恋は起爆剤のようなものでしょうか。

そして罪深い。そんな心持ちにもなってしまう。理性を失わせてしまう。

昔、フクダという宰相が「ひとつの命は地球より重い」と宣言しました。
あのハイジャックされた飛行機に彼の愛人が乗っていると、
日刊ゲンダイ」は非難した。かどうかは忘れましたが、
政治的な詭弁とは別に、
これを「恋の盲目」性と「天使の蛮行」を重ねてみるのは面白いものです。

たとえば、その炎のなかにある、者たちは恐れをしらない。
あるとすれば、愛するものの喪失だけ。
そのために全世界を敵にまわすことだっていとわない。

これを神が見逃すわけはありませんよね。


カミュの『シーシュポスの神話』では、

神々から知恵を盗んだシーシュポスは永劫の罰を与えられる。

知恵? 知恵とは何か?

神は知恵を持つことを許さない。

アダムとイブは禁断の果実「善悪の知識の実」を食べたことで恥じらいを知り、
それが神の怒りにふれてエデンの園を追放されました。

スッポンポンで平気だったアダムとイブ。
なぜ、隠したの? 後ろめたさ? 邪悪や邪心? そうかなあ?

お互いを意識した。

恋が芽生えたんじゃないかあ?

神はとても嫉妬深い。たとえ、ある時期だけであっても
自分以外の何者かに心を奪われることを許さないのかしれません。
シーシュポスが盗んだ「知恵」とはそれだったのかも。神は激怒します。

永遠の命をもつ天使でさえも心を奪われるものですものねえ。

彼らを「堕天使」というならば、
天使の身でありながら高慢、嫉妬、自由意志などの理由で
主なる神に反逆し、結果天界を追放されたものです。

高慢、嫉妬、自由意志。これはすべて「恋にまつわるエトセトラ」ではないか。

その炎でこの身を焼き、焼き尽くす。

尽くされる、場合もありますが
そこに愛が生まれ育まれたならば、人間は幸福を得られる。
それは小さな火種のようなもので、小さな人間が寄り添って肩を寄せ合って
互いの右と左の掌で護り育む小さな青い火種です。

それに神は嫉妬して時々荒々しい息を吹きかける。

その多くが消えてしまう場合もある。

それでも、それを愛おしく思うものたちが
掌の明かりに顔を近づけて囁きます。
その囁きの息吹が掌の小さな火種に触れるとき、ポーッと明かりが灯ります。
漆黒の闇の世界を一瞬、周囲を明るくします。

道が見える。

あちらこちらでポーッ、ポーッと。ポーッポーッポーッと

ポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッポーッ・・・

となればいいよね。


「すべてよし」

シーシュポスはそう言った。



愛を訪ねて三千里(5)