あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛欲を謳う




おはようございます、今日は、今晩は、
ヤフーブログの吟遊詩人チャーリー・馬太郎でやんす。

フランス映画からはじまって、
愛を再確認しようとテキサスからベルリンに足を伸ばして、ここは愛の城下町。
格子戸をくぐり抜け、見上げれば君がいた。(なんのこっちゃ(汗))

さて、ドラクエとかFFでお馴染みにの吟遊詩人ですが
いったい何を歌ってたと思います?

答えは、CMの後。

   「♪ 女房がピーコにほめられた」(このCM好き)
   「金麦冷やして待ってるからねええ」(この女優嫌い)
   「20世紀少年。第二章 ばはは〜い」(イマイチだそうです(汗))

さて、正解は不倫、三角関係、姦淫の愛の調べなのだそうです。
とすると、戦うモンスターとは道徳とか貞操とかだったのか?

12世紀の南フランスで吟遊詩人はこの「メロ」を歌い称えていた。
歓喜、欲望、性愛を賛美していました。
当然、厳格な教会が黙っているわけがない。弾圧して根絶やしにされます。

しかし、歴史っていうものは面白いもので、法律のように抜け道がある。
また飛び石のように、一時身をひそめてもまた表に顔をだします。
オック語で歌われた性の歓びは北に逃れてオイル語で称えられます。
ハッピーから悲劇というドラマチック仕立てになって。

そして、19世紀から20世紀に再び世界を席巻します。

「メロ」とは扇情的な男と女の愛の劇場。
はたして「愛」という言葉を使っていいのか? 複雑な馬太郎。
20世紀にはいって演劇から映画で大いに民衆の喝采を浴び支持された。
その元祖はアラン・レネ監督のフランス映画『メロ』(1986年)ではないでしょうか。
その語源はメロディーとドラマの混成語で「メロドラマ」だといいます。


愛の流刑地渡辺淳一は言うけれど、
やっぱり愛は罪深いものなのか?

ここの査定が非常にむずかしい。

わたしが以前、天使だったころ、同僚と一緒にこれで悩み苦しんだ。
アウトかセーフか。

苦い恋より甘い恋。こんなお茶のCMもありましたよね。
恋なのか愛なのか。

米国特派員やまさんによると、現地でラブはもっと軽く使われているそうです。

しかし日本では明治の頃までラブの概念がなかった。

早乙女愛、僕は君のためなら死ねる」
破天荒な愛の伝道師・武闘派梶原一騎は『愛と誠』で岩清水君にそう言わせます。

>恋から愛へは、なにか不純な感じが・・・
ほりうちみちこ選手改めジャンヌは辛辣に疑問を提示する。

はたして、愛は軽いか重いか?
それとも不純なのか?


ここは避けて通れない愛の綾瀬バス停前、もしくは箱崎ジャンクション
混迷は必須の愛の十字路スクランブル交差点。
真実はどっちだ。




愛を訪ねて三千里(6)