あかんたれブルース

継続はチカラかな

どうして、援交はいけないの?

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もし、自分の子供に
「どうして、援交(エンジョコウサイ)はいけないの?」と
聞かれたら、どう答えますか?

「当たり前でしょ!」 とか
「なぜ、そんなことを聞くの?なにかあったの?」 とか
話を一歩飛ばしてしまって「援交する大人もよくない」とか
会津藩士なら「だめなものはだめ」とか
色々考えられますが、

「魂によくないからよ」って答えあげるのはどうでしょう。

人間の体は心とリンクしてワンセットです。
心は精神と魂でできています。「体」「精神」「魂」の三位一体なのです。

60年代の性の解放は色々な方面からわたしたちに影響を与えました。
「ラブ アンド ピース」・・・
そのなかで、フリーセックスという言葉を
「誰とでもセックスしていいというものじゃない」と補足しても
正しい解釈はなかなかなされなかった。
混乱してしまったのです。

それ以前に、わたしたち日本人は「愛」の認識すらおぼつかなかった。

愛の行為として賞賛すればするほど、
心と体のギャップに悩んでいる人たちは、実は多いのだ。
特に、女性の場合。


それは若い人だけじゃなくて
年齢を重ねた既婚者の場合も例外ではありません。
また、男性の場合も同じです。(ただし、性差が存在しますけどね)

性を崇高なもの神聖なものと賛美すればするほど、
本音と建て前のギャップはひろがってしまうのかもしれません。

そこに心と体の葛藤が生まれます。

それに耐えきれなくなった場合に、心と体を分離させてしまう選択もあるのでしょう。
「セックスなんてスポーツと同じよ」とか
女性誌ではセックスダイエットなんて特集もありましたよね(汗)。

そして、彼女は、
「愛はなくてもセックスはできます。」と切り替えす。
そう言われると、「ごもっとも」としか言わざるおえない。

どんなに道徳的に話してもまったく説得力がないのだ。
頑迷とか固いとか古いとか言われてしまうだけ。

そして、心と体を分離させてしまう選択は
自分の体を粗末に扱うことで確認しようとする。

「こんなのなんてことない」

痛いですね。なんかとても切ない。


わたしは別に禁欲主義者じゃない。
「現在の常識を疑え」をこのブログのテーマのひとつに掲げていますから、
どっちかというと不道徳な人間なのかしれないと思います。

婚前交渉大いに結構。
結婚するならよく確認して踏み切るべきだ。が社是です(汗)。

でもね、
心の、気持ちの伴わないセックスは魂によくない。
当然、個人差はあったとしてもです。
たしかに、愛がなくてもセックスはできる。
けれども、人間の性は生殖だけでも快楽だけじゃない大切な意味がある。
それに反すると、心が痛みます。

たとえばそれは、
なぜ、人を殺してはいけないの?
という質問と同じなのです。




愛を訪ねて三千里(13)
画像は丸尾末広