あかんたれブルース

継続はチカラかな

「性の奴隷」という幼稚な妄想

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江東区のバラバラ殺人事件で犯人はその動機を
「性の奴隷にしたかった」とニュースで報道していましたね。

性の奴隷?

なんだ、そりゃ。
そして、その後に「恋人同士になりたかった」と・・・

稚拙といえば、これほど現実離れした妄想はありません。
幼稚だ。しかもれっきとした社会人が、これだ。

普通に恋愛ができな、若者や大人が増えている。

対等な恋愛ができない。

以前、冬幻舎の本で『セックス障害者』とかいう本を読んだ記憶があります。
残念ながら捨てちゃって手元にはありませんが、
そのなかで風俗しか知らない若者たちのケースで、仰向けでないと
性交できな事例が紹介されていました。
所謂、「マグロ」というやつです。
ホントかよ(汗)。と驚いたものです。

また、子供を巻き込んだ性的虐待や事件も増加しています。
これも弱者を対象にしかできない現れですね。

天童荒太直木賞を受賞しましたね。
彼の『永遠の仔』はとても哀しく切ない作品でした。

見方を変えれば、ひと昔まえに東南アジアに売春ツーアーに参加する
オヤジ達とそうはかわらない。

そういった風潮が社会に蔓延していったのですね。

風俗と不倫はここではひとまず置くとして、
この「性の奴隷」とはなんなのか?

どこのポルノ小説に影響されたか、アダルトアニメかコミックかゲームか
わたしはわからない。

アメリカ社会はポルノを解禁した結果、すっかり性に対する魅力を失ったようです。
60年代後半のニューシネマの台頭から一時方向性を失ってしまいます。
そのなかで、『ミスターグッドバーを探して』とかと同じ頃でしょうか

ロバート・デ・ニーロの『タクシードライバー』(1976年)という作品があります。

有名な作品なのでご覧になった人たちも多いかも。
   大都会ニューヨークを舞台に夜の街をただ当てもなく走り続ける元海兵隊のタクシー運転手が、
   腐敗しきった現代社会に対する怒りや虚しさ、逃れられない孤独感から徐々に精神を病み、
   ついには自分の存在を世間に知らしめるため過激な行動に走る姿を描く。


ストーリーの中盤で主人公がポルノ映画を観るシーンがあるのですが(汗)。
それが・・・なんとも・・・アメリカ人はこういったもので興奮するの?
思わず、劇場で吹き出してしまってヒンシュクをかった憶え有り。

その後、日本でもポルノ解禁の意見が高まったこともありましたが、
あんまり良い事はないですね。

とはいっても、現実は解禁状態となんらかわらない。
そういうなかで子供達は成長していくわけです。

よく、凶悪犯罪が起きると、マンガやゲームの問題点が指摘されます。
「それとこれとは違う」という意見もあります。

わたしもそうは思うけど、思うのだけれど、
影響があるのは確かだ。

でも、それをいくら規制しても無理なんだよ~なあ。

因みに、わたしはスケベです。その代表選手として思うのですが、

それを踏まえていうと、やっぱりチラリズムであって、、モロだとねえ(汗)。
司馬遼太郎の『尻啖え孫市』で主人公が着物裾野から零れた見えたアキレス腱に惚れて
それが発端となって信長と戦うシーンがあります。
やっぱりこれだよ。



愛を訪ねて三千里(14)
画像は丸尾末広
タイトルは「馬太郎の日常」