あかんたれブルース

継続はチカラかな

20世紀少年の戸惑い

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永田洋子は苛立っていた。
それは女性メンバーの耳に光るイヤリングを凝視することで、
敗北と絶望感を増幅させていった。

革命は来るべき「物質文化」に呑み込まれてしまう。
彼女の苛立ちは総括という名の下に、
同士12人のリンチ殺害。所謂「山岳ベース事件」に発展していく。

現在の社会荒廃のスタート地点を考えるとき
1972年ではないかと、わたしは考えます。
万国博覧会開催でもう戦後ではなくなり、ニューシネマと女性解放運動。
そして、学生運動に終止符が打たれました。
オイルショックで生活基準も様変わりします。

それをいち早く察したが連合赤軍副委員長の永田洋子だった。


わたしたちポスト団塊世代
つまりは昭和30年代生まれの三丁目の夕日世代は
社会の変化をまざまざと見せつけられて成長してきました。

漫画も変わりました。
手塚治虫と「ときわ荘」の書き手たちから「少年ジャンプ」の登場。
そして、青年誌へとスライドしていきます。
少女漫画もニューウエーブ世代からレディーコミックの登場。

学生運動の戦士たちはいうと、一般企業には就職できなかったことから
出版業界に身をひそめてという。

エロ本業界とかね。
「裸さえ出せば文句はいわれない」として、
ゲリラ的な創作の場としたとも言われます。

商業媒体と運動家たちと刺激を求める消費者。
「保守的」は悪とばかりにラジカルに展開されていく表現は
やがて方向性を見失っていきます。


一億総白痴化
と警告をされても、テレビの普及は大きな社会変化をもたらしました。

テレビにその座を奪われた映画産業の衰退もまた拍車をかけ、
栄華を誇った日活は倒産。
茶の間では観られないというコンセプトから
「ロマンポルノ」に再生の活路を求めます。
まだ、社会に余力があったので、
そういったことにも寛容でいられたのかもしれない。

町にマカロニウエスタンのポスターが貼られていた上から
やくざ映画と日活ロマンポルノのポスターが貼られていきます。
横目で盗みみたもです(汗)。

しかしだ、性描写というものと文芸や芸術がセットになってしまう
大義名分に戸惑ってしまうことが、ある。
そんなことをポロッとこぼしたら「頭が固い」とか非難ごうごう。

でもね、たとえば、
薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』に
渡瀬恒彦と風祭ゆき(日活ロマンポルノのスター)の濡れ場が必要だったのか?
赤川次郎の原作を読んでいないので、その辺はわからない。
ただ、
異人たちとの夏』の名取裕子との濡れ場は必要なかったと思う。

いぜん、それをおゆきさんに聞いたところ
「観客動員の戦略」と仰っていた。
それで、観客が増えたのだろうか? 
名取裕子の濡れ場がある~よ」って、週刊誌に掲載されたのかな?
それで観にいくわけか・・・

なによりも、大島渚の『愛のコリーダ』は・・・
ヌーベルバーグはよくわかりません。特に「日本の」の場合は。





画像は丸尾末広。これは『愛の嵐』だな
1973年、シャーロット・ランプリング
テアトル新宿で観たと思います。まったく記憶にありません(汗)。