あかんたれブルース

継続はチカラかな

第四の性

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変な話で引くかもしれませんが、
「愛」とか「性」を文系的な解釈ではなく、理系的に捉えてみたかったのです。

えっ、野暮?

でもそれじゃあ いつまでたってもこの不完全燃焼はおさまらない。
それで十分に満足しているという人はそれでいいのです。

これを、喩えれば、こんな喩えがいいのか、アレですが・・・
「愛がなくてもセックスはできます」は
「キッチンがなくても料理しなくても食べていけます」的な
ファーストフード・外食だけの食生活。偏食するな。という提案で、
季節の食材を使ったバランスのよい食事は「美味しい」し、
心と体にもいいですよ。ですかね。違うかな?(汗)。
医食同源


さて、話を戻しますが
わたしたちはどうしても絶頂に一直線に向かい急ぎます。
そういうのスタンスではなくて、絶対に挿入するなとはいえませんが、
長い持続(ある種の禁欲かもしれませんが)で愛撫や抱擁(ゆるやかな摩擦)が
快感は強く大きくなり、そのなかの集中力が陶酔感を高める。
自己と相手との同一化が必要となり、そうなることが目的地点だという。

まあ、そんなに即誰でもできるもんじゃないでしょうけれど、
試してみるになにも損はないんじゃないでしょうか。

二人の親密度や信頼関係も増すことでしょう。
そんなに変な儀式でもない。
むしろそういったことはハウツーブックに間接的に書かれていたかもしれない。
そんぐらいのものです。

で、お互いの気持ちが高まって調和すると例の霊的水素(水素シ12)が
女性の体内から醸し出されて女性自身を満たして男性もそれを交流するように
体内に染みこませていくのだそうです。
これが細胞まで染みこんで活性化を促す。そして治癒力を高める。
心(精神)と体を癒す。

また、そんな眉唾みたいなって言うかもしれないけど、
実際にオシロスコープ(電気信号のかたち(波形)を表示するための計測器)
測定できる。これが。
以前、量子力学の話をしましたよね。
あの天才たちは「箱」のようなものを作って分子を測定・実験していました。
ウィルヘルム・ライヒのオルゴン集積器もそんなかんじ(画像下参照)。
まあこれが、ランダムな動きものだから苦労したようです。
はやい話がこの霊的水素もそういった動きかたをする。
電気に「似たような」な物質だと。

よく事件になるセックス教団や教祖はそんな感じのことを宣っているのかも。

わたしは宗教や教団や教会は嫌いです。

で、心と体を癒すのだけれど、それがさらにすすむと
「自覚」という新しい意識の目覚めが生まれる。これを「変成」といます。
昨日は「運動・本能人間」<「感情人間」<「知性人間」と3つのパターンを紹介しました。
これがフロイト(もしくは学派)の捉えた「そうであるところの」人間です。

ここからもっと発展して、「重心」確立できるようになる。
自己アイデンティティーでしょうか。
「自分がなんであるか」より「自分はなにになりえるか」
発展可能性を探るほうに重心を置けるようになる。
この辺りは啓蒙本で説かれているので、まあまあ大丈夫ですね。

で、次のステージ「自覚」に変成していく。
えっ?わたしは十分に自覚がある? それは錯覚というものです。
わたしたちは思い込みで動いています。客観意識も当てにならない。
また長くなってきたので「自覚」の話はまた別の機会にしますね。

なんか精神的な話になってきました。

オチとして、曼陀羅図を思い浮かべてみてください。
あの中央で、像の顔をしたおっさんが女人となんとかの体位で
悟りをひらいているような・・・。あれなのかな、と。

ただし、行者や修験者が行う苦行とか「ヨギ」の道とはまったく違う。
そんな禁欲的なものじゃない。
ただ、人間はそういった極限状態でなにかの意識を呼び覚まそうとしたのでしょう。
非効率ですが、なにかあったんでしょうね。

そんなことよりも、愛だね、愛。

愛と性。

そんなに矛盾しない。そういった一席でした。




愛を訪ねて三千里(20)
男と女の渡るに渡れない大井川をなんとかかんとか(汗)