恋の炎を関知するうまタンチャン
人はなぜ恋をするのか。恋をしたいのか?
恋に恋してる。って言葉もあった。最近はあまり聞かないけれどね。
わたしが思うにはひとつは「退屈」だからなんだと思う。
なんてことを!
って怒られるかもしれないけれど(汗)。
なぜ酒を飲むのか? 酔いたいから。
人間は自己陶酔することで幸福感を得られるものです。
絵筆を握る画家、タクトを振り上げる識者、ペンをはしたせる作家、
演説する政治家、カラオケマイクを握るあなた・・・
マズローはこれを「至高体験」として提唱しました。
別名「無我の恍惚」。
しかし、芸術家でも達人でもないわたしたちがカラオケ以外で陶酔できるもの・・・
なぜ酒を飲むのか?
以前、古今亭志ん生(5代目)の記事で「非日常を得るため」と書きました。
祭りも花見も旅行も飲酒も鉄火場もバーゲンもすべては非日常の場。
わたしたちの人生の敵は日常の退屈だ。(うまタンチャン)
カラオケマイク以外にわたしたちが退屈から逃れる手立てがあるとしたら
恋です。
ロマンス。
なんたって、恋は盲目なんですから。
いくら口を酸っぱくしていっても利害や楽な選択しない人間が
恋のためならなんでもできる。
それほどに、わたしたちは退屈に苛まれるのです。
19世紀のロシアの作家ゴーゴリはこう叫ぶのだった。
「諸君、この世は退屈だ!」
人間は平凡な日常に安堵しつつも退屈を発狂するほどに、恐れ嫌う。
そして、非日常を求める。
狂いたいのだ。
愛を訪ねて三千里(22)
道に迷ってなぜか「つま恋」
うまタンチャン?
♪ うまタンチャンってなあに?
♪ うまタンチャンっていうのはね。
恋の炎と煙をちゃんと知らせてくれる・・・
「恋です」「恋です」「男女の声で知らせてくれる。」
うまタンチャンなんだよ。(わかるかなあ?)
姉妹品の「けむタンチャン」「ねつタンチャン」もヨロシクネ。