あかんたれブルース

継続はチカラかな

料理する行為はエロいか?

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踊るという行為、ダンスのなかにエロティズムが秘められている。

男女の共同作業、だからでしょうか。

踊りじゃないのですが、剣道に(日本剣道)「形」というのがあって、
昇級・昇段試験のときは実技としての試合とこの「形」が審査の対象にされます。
この「形」は打太刀と仕太刀の二人によって表現します。

私事で大変恐縮なのですが、昨年昇級試験を受けようと、この「形」の練習を
同期でバツイチのご婦人と一緒に励んでいたのです。

不思議なのですが、萌えるんです(汗)。

二人の意気がぴったりあった。「やあー!」「とう!」の掛け声、気合い。
なんともいえない、エロティズムに身悶えしてしまいます。
別にわたしが変態とか不埒とか不謹慎とかじゃないんですよ。信じてもらえないかもしれないけど。
経験者なら理解してもらえるのだけれど、そこにえもしれぬ快感が密んでいる。
エロティズムなんだろうなあ。

むかし、先輩に言われたのですが、
女性と一緒に食事をする行為は、性交と同等のものだと薫陶を受けました。
気がついたら、わたしはメッシー君です(汗)。

でね、たとえば、料理をする行為も実はセックスと同じなのだと
いま手元にある本に説かれている。
ちくま新書『日本のエロティシズム』百川敬仁・著)

なぜかといえば、素材があって、それを即、食べてしまえばいいだけなのに
時間と手間をかけて調理する行為には、その過程での予期をはらむ
「エロティシズム」なものなのだと。

今週火曜日の記事でミッキー・ロークの『ナインハーフ』の画像を再度観てみてね。
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/47612494.html
二人の男女は「調理」しながら「食べる」という行為で盛り上がっています。
この監督(もしくは原作者)には、そういった意図があったのですね。
「これがエロティシズムじゃい!」って

で、じゃあエロティシズムとは何か? というと

時間の経過、変化にあるといいます。

たとえば、喫煙も、煙草が灰になっていく、時間の経過と変化がある。
禁煙パイプにはそれがないのが残念なのだと。
ニコチンだけの問題じゃないんです。

そう、これなんです。性交の快感つまりは頂点に登りつめる、放出だけでは
エロティシズムを感じない。
サルとか動物はどうかはわからないけれど、
少なくとも人間はそれじゃ満足できない。

よく、人間の本能本能と宣う人もいらっしゃいますが、
そりゃ、生きてるのだからから本能はある。腹も減れば屁も出ます。が、
人間のそれと野生動物とは違うのです。
だからなんでもかんでも本能のせいにしても、埒があかない。わけだ
面倒臭いか気が短いか触れてほしくない事情かなにかあるのかもしれない。

まあ、それはいいとして、
この時間の経過と変化が
もののあわれ」であり「滅びの美学」であったりするようです。

いま、桜の季節でこの土日は各地で花見が行われることでしょう。
日本人は、桜が好きです。
一年のうちで、この桜が開花するのはほんの一瞬。
そしてその絶頂は即「散る」という「ほろび」という儚さを感じさせる。
ここに美があり哀れがありエロティシズムがあるわけですね。
天然の無常ってやつです。



愛と性に対しての補足として(5)
ビジュアルは山本タカト丸尾末広じゃない)