あかんたれブルース

継続はチカラかな

桜の下で狂う異界の誘惑

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今年の桜は想い出深いものになりそうです。

さて、感傷に慕っている場合じゃない。引き続き、参る。


愛の名の下に、わたしたちは肌を重ねる。

その行為のなかで、愛しき女性はこう漏らすのだった。
「イク、イク・・・」

行く・・・。何処へ?

英語では、来る。と表現します。何が?

  (文語では「達する」「果てる」「気を遣る」などと表現される事もある。)
  このオーガズム(絶頂)状態に伴い陶酔的な幸福感が得られる。
  また、その直前に寂寞感(男性)や恐怖感(女性)を覚える場合もあるとされ

その状態と場所はなにかというと、異次元、異界、非日常のような場所だと考えられます。

けれども、わたしたちは本当の意味での性の意味と目的を知らないのかもしれません。
ただ、その場所を性急に求めてしまっているのかもしれない。

たとえば、東京駅から新宿に向かうとして
目的地新宿の歌舞伎町を異界と考えてみてください。
直線的に行こうすれば、中央線で一本です。
なかには、途中で総武線に乗り換えて各駅停車の旅を楽しむ好事家もいるかもしれませんが、
まあまあ直線的です。
なかには、
山の手線外回り内回りを利用して「迂回」して新宿を目指す人がいる。
不合理、非効率と普通の人は思うかもね。
でも、いいのです。早く着ければいいってものじゃないんだから。でしょ

そこでさ、
山手線(緑の電車)の同じホームに京浜東北線(青い電車)が停車します。
同じ方向なので、なにかのはずみにこっちに乗ってしまう場合もある。でしょ。

さて、迂回して新宿に向かう。わけだ。品川方面からか、池袋方面からか・・・

ところが、山手線と平行して走っていたはずの京浜東北線
品川で横浜方面へ、田端から大宮方面へと泣き別れ。
新宿には行かない。

こういうことです。(どういうこちゃ!

横浜方面には中華街が、大宮方面には森林公園も、ある。わけだ。(わからん・・・

わたしたちは、享楽の歌舞伎町だけを目指そうとしている。
たしかに、歌舞伎町は日本一の享楽の地。なのかもしれない。
しかし、そういう風に「思い込んで」しまっているのかもしれない。
歌舞伎町にはなんでもある。と、信じ込まされていた。
コマ劇場はなくなったかもしれないけど、風俗も賭博場も居酒屋もなんでも。

性急に急ぐあまりに中央線の特別快速に乗ったりして、
「ダメねえ」と、こぼされる時も、ある。
不味いと思って、途中の四谷で総武線に乗り換えてなんとか我慢するのが
関の山。信濃町千駄ヶ谷、代々木、あああ、もうダメ、新宿!

そして、男性は寂寞感を味わう。
放り出された女性は、猥雑な歌舞伎町で不安を感じる。場合もある。

しかし、わたしたちは異界を求めていることは確かです。


この、寂寞感や不安こそが、「虚無感」の正体だ。

欧米人はこの虚無感の不安を怖れて、拒絶した。
その手立てになったのが一神教という宗教です。
日本人は、その虚無感を受け入れる選択をしました。

西洋と東洋には文化、文明、宗教そして思想という差があります。
そのギャップを見据えて違いを論じることは楽しいものですが、
でも同じ人間にはかわりはないのですから、根底で求めるものは同じなのだな。

なぜ、恋を求めるのか?

以前、それを「刺激」としましたが、その刺激とはなにか?

非日常だよ。現実の世界ではない異界。

人間は現実のなかだけでは生きていられない。生きていたくないんだ。

どこかで狂いたい。彼方の異世界に行きたい。そんな欲求、欲望がある。

なぜ、酒を飲みたいのか。昔、古今亭志ん生の『なめくじ艦隊』をテキストに
非日常を求めたいという記事をアップしたことがありました。
それは間違いじゃない。

祭りも御輿も、飲酒も喫煙も、クスリもショッピングも、ギャンブルも恋愛も・・・
すべて、非日常の異世界へ向かう手段なんだ。

で、なにを言いたいかというと、新宿だけが歌舞伎町だけが
異世界じゃないんだ。




愛と性に対しての補足として(6)
ビジュアルは山本タカト丸尾末広じゃない)
また長くなってしまった。
なんか、書いていて
これでいいのか?と非常に心配になってしまうのですが、
まあ、いいや。
今日もまた花見です。異界、非日常のなかで狂って参ります。

では