あかんたれブルース

継続はチカラかな

エロの堂々日本史

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日本人のエロティズムが「もののあわれ」から発しているとすれば
それは江戸期に確立されました。

それ以前は? 「もののあはれ」でしょうかね。

ごく少数の貴族達が歌を詠み恋文を託し、その風雅に感じたものが
日本人のエロティズムの原点です。

ごく一部。その他の武士や平民はそんな感覚など皆無だった。

性に対する認識もそうです。そんな上等なものは必要としなかった。

通い婚などの話を引用したりしてきましたが
それは貴族達のごく一部の文化、慣習の結婚制度です。
これが武家社会になって、結婚がステイタスになります。
「食わせていける」経済力の誇示です。
そして一族郎党の血の結束。

けれども、人間がパンだけでは生きていけないように
人間には生きる指針というか目的が必要です。

人間は、愛したいのです。

やがて室町の頃になり応仁の乱から戦国時代に突入します。
社会も人心も荒廃し混乱して疲弊します。
婆娑羅というアンチテーゼは次第にかぶき者として若者に浸透していきます。

信長も前田利家もそうでしたよね。前田慶次も名古屋山三(出雲の阿国の恋人)もそうです。

その戦国時代にピリオドを打とうとした信長が
日本の不動産の限界に気づきます。
金本位制ならぬ土地本位制だったこの頃に、社員に与える土地に限りがある。
そこで、茶道というものをブレイクさせて、茶器に新しい価値観をもたせた。
「わびさび」が生まれます。
民度の向上といっても過言ではありません。
それを秀吉が引き継ぎ、戦国時代はピリオドを打ちます。

その後を奪った徳川家康はこの問題を別な角度から捉えました。
もともとの土地本位制の崩壊はジンギスカンの元の世界侵略から南宋から。
この主従関係の危機に儒教から朱子学が生まれます。
そして、拝金主義の是正のために商工業の発展を抑えた。

家康は信長・秀吉の経営方針とは逆に、商工業の発展に危機感を感じます。
徳川幕府士農工商という身分制度で農民を武士の次にもってきました。
そして、武士の刀を鞘に納めるために柳生宗矩と沢庵和尚の思想を推奨。
武家社会は朱子学で治め、日本を儒教的農業立国にするのでした。

そして300年を保つ。

この間は、泰平の世と考えられますが
武士道と商人道の暗闘は加熱していき、最終的には商人の勝ちとなります。
そしてペリーが黒船でやってくる。それでも300年保った家康は偉い。

さて、江戸幕府で社会が安定すると、民度は一気に高まる。
殺伐として食うか食われるかの世界から
エロティズムの渇望が求められます。
ごく一部の貴族の特権だった「もののあはれ」は
武家社会のわびさび茶道から大衆文化へとひろがっていきます。
浄瑠璃、芝居、などを媒体として・・・
ここで、「もののあはれ」は「もののあわれ」(は→わ)に変容する。
(お百姓さんはまだ村社会のなかで夜這いと祭りの乱交パーティぐらいか)

井原西鶴(1650~1693年)がその切り替え地点での立役者となります。
御存知、『好色一代男』の作者ですね。

こうやってみると日本人の価値観や常識とかエロティズムは
時代時代で変容していくことがわかる。でしょ。

平安の頃の貴族とそれ意外の日本人。
江戸期の武士と町人文化、そしてお百姓さん。
江戸期も前期と中期と後期の3つに別れます。

泰平の世が200年も続くと、ここにも閉塞感と飽和状態が生まれる。
で、そのエネルギーをどこに向けるか?
後期の100年はオタク・カルチャーの大ブレークした時代です。

民衆は好奇心を満たすために
算術、天文学、地理学、文学、国学、洋学、剣術などなどに
熱中しました。

そして、武士は取り残されていくようです。




愛と性に対しての補足として(8)エロティズムの正体(1)
ビジュアルは山本タカト丸尾末広じゃない)
八犬伝』の滝沢馬琴は江戸中期から後期の
代表的なエロティズム文化のオピニオンリーダーです。
この作品に儒教的な仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌がキーワードになってるのがポイント。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E6%B2%A2%E9%A6%AC%E7%90%B4