あかんたれブルース

継続はチカラかな

エロティズムの渇望エネルギー

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日本人のエロティシズム、いやそれは人間の求めるエロティシズム。
東西や宗教の差を超えて求められる欲望。

それをわたしたちは渇望しています。

 黒船が来て、世界と向き合わなければならなくなった日本と日本人は
 明治維新をむかえて、「天皇」を中心とするピラミッド状の国家をつくります。
 ここに国民の愛の対象を「君主」(藩主、将軍)から「天皇」に切り替えた。

各家庭に天皇の写真が飾られます。
こんなことで、と思うかもしれませんが写真の効果は絶大だった。
それまで漠然としたイメージから実像が生まれたのです。

江戸期の「もののあわれ」は共同体のなかで生まれたものです。
それは組織や地域、環境。おなじ価値観を共有するものたちの感情です。
村社会のなかであり、江戸っ子の粋であり、同藩のなかの同じ思想・・・
そういうものを一本化する必要があった。

日清日露の戦争は日本人を一本化させるために非常に効果のあった戦争でした。
これまで、「お家のために戦う」だったのが、「国家(天皇)のために戦う」
しかも、武士階級ではなく平民で構成された軍隊で。


そういった存在を必要とするのです。

   よく、天皇制を批判してそれをなくせという叫ぶ人がいますが、
   国家、民族、人間。日本人のことをなにも理解していない。
   そういうことをすれば、日本は日本人は滅びる。
   右翼的思想ではなく、歴史に隠された真実とはそういうものです。
   太平洋戦争の敗戦で米国がとった政策は
   それを踏まえたものだった。
   米国首脳陣やGHQわ理解していても、日本人は理解していなかった。ですね。

   日露戦争の勝利で日本は先進諸国(列強)の仲間入りをします。
   しかし、ここに落とし穴がありました。
   それに見合う国内産業がないんだな。絹織物とかぐらい?
   また、急激な社会変革は民衆に多大な弊害を与えてしまいます。
   これまで農業で暮らせていたのに、貨幣経済金利を生んで
   結局、田畑を手放さなければいけなくなる。娘を売らなければならなくなる。


日本は構造不況に陥ります。矛盾だらけなのです。

誰の責任だ。最高責任者は・・・

しかし、その名を出して言及するわけにはいきません。
愛おしい最愛の方を批判することは自らを否定することになる。

その矛盾を
統帥権の乱用、天皇機関説として、様々な論争と抗争とテロが起こります。

ここに、嫉妬がある。  
なぜ、わたしをみてくれないのか。
あなたのために日本のために国民のために・・・こんなに
切ない。
あんな側近たちのために・・・

そして、まだらっこしい議論よりも軍の一部が権力を把握することで
スピーディーで迅速な行動が効果的だと信じた。

 そして、日本国内の矛盾の矛先は海外の植民地へと向かっていきます。
 石油がないから資源がないから市場拡大
 欧米の圧力を振り払うために
 動機はたくさんあります。
 満州事変まではよかったのですが、そこから先が不味かった。


愛の暴走。

 いや、嫉妬が生まれた段階でそれは愛じゃなくなった。
 利害や利権が生まれた段階で、愛じゃない。
 エロティズムを求めるあまりに見失っていきます。
 強制される愛なんて、愛じゃないんだ。
 本当に日本人が求めていた天皇への愛はそんな生臭いものじゃない。
 そして、「愛のため」という大義名分が暴走を駆り立てた。
 こんな感じですね。

 でもね、そういうのを軍部とか政治家だけの責任にしてもダメなのです。
 みんなでやった。みんなで狂った。
 狂いたいのです。基本的に人間は。なにかに恋していたい。
 そりゃあ、それに見合う恋人がいる人はいいけれど、みんなみんなそうはいかなし、
 恋愛は2年から4年で破綻するという掟、摂理があります。


愛するもの のために死にたい。

I LOVE YOU  

 幕末まではそれを儒教と重ねて主従の愛としました。
 この欧文を二葉亭四迷は「死んでもいい」と訳した。


愛するもののために死にたい。そんな情熱を求めた。

戦後、日本は高度経済成長をむかえ、その愛を会社という共同体に向けます。
貯蓄やマイホーム、クルマ、物質にエロティズムを求めました。

おおかた豊になって、その「モノ」にも色気を感じなくなってきた。
共同体から個人へ愛は移行していきます。

けれども、それでは身が持たないのです。

本当は誰かを何かを愛していたい。萌えたいのだ。

それが、ある人はいいのです。
ない、人もいるのだ。だから閉塞して疲弊してしまう。
何かが足りない。と

愛が足りないのです。





愛と性に対しての補足として(10)エロティズムの正体(3)
ビジュアルは山本タカト丸尾末広じゃない)