あかんたれブルース

継続はチカラかな

嫉妬と誰かのせいと無責任

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駆け足で日本史の日本人のエロティシズム疾風録でした(汗)。

戦後、日本は急速に「儒教的」な愛やエロティズムが衰えてしまった。
それがいまの現状です。惨状かな?
しかし、「もののあわれ」の心はまだ残っています。
そして懐かしんでいる。
なによりもそういうものを欲しているのです。

明治維新の欧米思想(キリスト教文化・合理主義・民主主義・個人主義)は
戦後の日本に再び強い影響を与えた。

その混乱は愛の解釈もそのひとつです。


すこし、「もののあわれ」について語ります。

これは共同体の感情の共有にある。
利害だけじゃなくて感情の共有もあります。

ガンダム宇宙戦艦ヤマトめぞん一刻 や スマップ や ジャイアンツや
辰吉丈一郎 や 少年ジャンプ や ケータイ や オタク などなどに
感情や感情の共感共有があってもののあわれを感じます。
村という地域共同体を越えて、それはある。

また、このもののあわれには共有できたない者達同士の疎外感も生まれます。
そのなかで、嫉妬というものも生まれる。
日本人は嫉妬深い民族です。
これは村社会での共有の絆を越えていく者に対して発するもののようです。

また、もののあわれは受け入れることにある。
日本は四季という自然があって、そこに自然を受け入れるという
エロティシズムが生まれました。
これは一神教の発祥の地の過酷な自然環境とはまったく異なります。

どんなものにも長短、表裏はある。

ものあわれのマイナス面は嫉妬の他に、自然に受け入れる。
パンだってカレーだってラーメンだって
クリスマスだってバレンタインデーだってハロウィンだって
オケラだってミミズだってアメンボだって、
寛容なのですね。よく言えば

すこし、女心を踏みにじって言えば
「流されてしまう」というものであり、もっとハッキリ言うと
「無責任」というものが生まれるようです。

流されて、その後で、仕方がないと達観するようにつとめ
誰かのせいにしてしまう。

軍人や政治家のせい、両親や先生のせい、恋人や配偶者のせい、子供のせい、
会社や社会のせい、役人や医者のせい、上司や部下のせい、米国や中国のせい、
馬太郎のせい・・・・

「馬太郎のバカ、女心をわかっていない。この変態タコ」


長らく、固い話を続けて恐縮でした。
これで日本と日本人の歴史とエロティシズムの話は仕舞いです。
その根幹にある「愛」のトドメに移りましょう。

愛なんて、そんなもの・・・なんて言わせない。
別にとって食おうとか壷を買わせようなんて考えちゃいないよ。
わたしのバックには宗教団体とか政治結社なんてありませんから
大丈夫です。

では、また明日。






愛と性に対しての補足として(11)エロティズムの正体(4)
ビジュアルは山本タカト丸尾末広じゃない)