あかんたれブルース

継続はチカラかな

快適と快感と快楽

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SとかMとか別として
性的興奮に「見る」「見られる」という視覚的→脳への刺激があるのは
確かです。

これに「もののあわれ」があると。

で、ですね。この興奮、刺激、快感、を「快適」に置き換えてみます。

「快適」というとエアコンの売り文句のようですが、そうじゃないんだ。
「暑くも寒くもない感覚」とは1972年に米国の暖房・冷凍・空調技術協会がさだめたもの。
「暖〜かい部屋で冷たいカルピス」とはまた別だ。
WHO(世界保健機構)から、この快適には消極的快適と積極的快適がある。

【消極的快適】     【積極的快適】
欠乏欲求の維持     刺激による成長欲求
不快の除去       +αの獲得
日常          非日常
長時間         短時間
ストレスが少ない    過度な生体的負担
安定          不安定


性交による直線的な絶頂(快感)への渇望は積極的快適の手法です。
対して、「第三の性」として紹介した
東京駅から新宿に山手線で行くの方法論は(なんのこっちゃ(汗))
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/47295905.html
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/47307055.html
消極的快適といえる。

こういうと、消極的より積極的に生きよう!なって即決しそうだけれど、
まあ、そう性急にならないで。

問題はストレスの緩和というか除去というか
欠陥欲求の維持、メンテナンスにある。

敵は本能寺にあると光秀は誤ってしまった。
違う、敵はストレスにあるんだ。

わたしたちが感じるストレスは別に鈴木さんや高橋さんや佐藤さんのせいでも
ノルマや残業や育児やテレビやセクハラやストーカーやクレーマーのせいじゃない。

ストレスの正体は「人工」にあります。

それを緩和して除去してくれるのは「自然」なのだ。
わたしたちはそれで知らず知らず自然に引き寄せられてしまう。

とはいっても、本当の自然は過酷だ。田舎暮らしも楽じゃないね。
暑いし寒いし、臭い! 痒いし、恐いし、気持ち悪いものだってある。
でもね、人間は自然の不快ではストレスを感じないという。

そして、人間(ここでいうのは日本人かな)は
現実的な自然よりも観念的な自然により自然を感じてしまうのだそうです。
牛乳瓶の一輪挿しの花とか盆栽や日本庭園やガーデニングなどなど
里山は自然を人間の手で作り上げたものって毛利さんのCMでもあるよね。
トトロの自然もそうです。

また、自然には内なるもと外なるものがあって
現在の外なる観念的な自然が生み出されたのは明治末期から大正という
比較的近年なのだそうです。
それ以前は内なる自然が主流で「じねん」と読み「おのずから、しかり」という意味で
内面的な事象をあらわしたようです。
それはいまでもあるよね。「自然にいこうよ」とか「自然体」とか。

ここまでの話は論点を少し変えて森林浴の効果効用の本を参考にしました。

さて、何がいいたいかというと。
わたしたちは性を積極的快適(快楽)だけに囚われすぎている。
それは性急すぎて、短時間で、また不安や消耗をもたらしてしまう。
もうひとつの性の意味を愛撫やペッティングのススメと誤解しないでね。

性的な興奮状態になると「女性から」ある性的物質が分泌発散されます。
「女性」以外なら植物(森林)が放出するといいます。
それをエントロピーとかマイナスイオンとか「水素シ12」とか「オルゴン」とか
まあ名称はどうでもいいとして、
それを男女が共有して得られる快感こそ、人間を再生治癒するパワーがある。
その【消極的快適】(快感)こそが
わたしたち人間が本当に求めているものだと。
バッコンバッコンだけじゃないんだ。


あああ、最後でしくじってしまった!




愛と性に対しての補足として(16)エロティズムの正体(9)
ビジュアルは山本タカト丸尾末広じゃない)
快適と快感と快楽
快適は居住空間だけのこと指すんじゃない。