あかんたれブルース

継続はチカラかな

騙されるな急ぐな、感じるのだ。

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森林浴の効果効用を植物から発散物質云々としましたが、
まあそれはさておき、です。
森林浴にはストレスを緩和させることは確かです。
これには人間の五感が関係している。

嗅ぐ。臭い、木の臭い、草花の臭い。たとえば木材でも、ヒノキ風呂とか。
触れる。木の温もり肌触り。心当たりありますよね。
味覚? まあ植物は野菜でもあるし、今度木でもかじって試してください。
聞く、森の音。せせらぎとか野鳥の声は直接ではないですけど、まあ納得。

そして、見る。
この視覚的効果が大きいといいます。
脳に刺激を与えているんですね。ここでだ、諸君。
あの変態団先生はなんで刺激を感じて悶絶していたかというと
「見る」でしたね。
もののあわれを」を「見て」高揚していたわけです。

ここで、感性というものが浮かび上がってきます。
この感性ってやつは重要なポイントなんですが、くせものだ。
まず、個人差がある。それと体調やそのときどきの条件や環境に左右される。
さらに、感性には
感受性の略としての受身的なものと
直感力という能力的なものの二つがあります。

感性の存在を発見したのは哲学者カントで、それは1781年。
それを「センシビリチー」とルビをふって「感性」という造語をこしらえたのが
西周(にしあまね)で1897年のこと。だと思います、電卓で計算しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_(%E5%95%93%E8%92%99%E5%AE%B6)
西周は造語のエジソンのような人です。
昨日の外なる自然の「自然」も彼の作品であり、その他にも
「哲学」「客観」「概念」「観念」「理性」「科学」「芸術」「技術」なども彼が生みだした。
だから中国人には通じない漢字ですね。

ここで、団先生を倒錯的好事家変態として、先天的か後天的かの病気。
とすることにわたしはなんら関知しません。
下手するとあらぬ疑惑のタネになる。
先生が変態かどうかは世間が決めることで、その基準は常識にあります。

ただ、この常識ってものが非常に頼りなく曖昧なものだってことを忘れちゃいけない。

歌は世に連れ、同様に変わり流される。言葉も常識もそれは一緒です。
鬼畜米英と信じていた時代もあったし、
いまはダイエットブームですが、下膨れでプヨプヨがもてはやされる時代もあった。
ルイちゃん、その日にタイムマシンにお願い。

で、団先生は現代の文壇を代表する名文家であらせられる。
渡辺淳一なんか足元にも及ばない。(気取るなこのエロ爺であります)
まあ、クリエイターなわけです。
感性、センスがなくては万人を感動させられない。
その筆先を読者の脇の下コチョコチョでんがな。あああ、感じる〜
まあ、団先生は自己申告どおり自分の趣味であり、それでしか感じない。
そうですから、努力しているわけじゃない。趣味と仕事が一致した果報者ですけどね。

で、もののあわれは江戸期に誕生し普及浸透しました。
それ以前はもののあ「は」れで一部貴族が持つ上質な感性。
下々の農民は夜這いと祭りでバッコンバッコンしか知らない。

で、人間っていうのは不思議なもので、そういった流行の歴史に踊らせられるのですが、
ブームが過ぎてもしっかり遺伝子に残されている。
地層のように積み重なっているんでしょうね。
だから、戦後教育を受けてもIT社会になっても
この古めかしい日本人的な「もののあはれ」と「もののあわれ」はあるんだな。

そこで、団先生が縛りあげた美女の妖艶な哀しい、そして恥じらいの表情から
その「もののあわれ」を感じたとして、いったい何が問題なんだ?
いったい誰に迷惑をかけたというんだ!
別に誘拐してきたわけでも無理を強要したわけではない。合意の上です。
まず、ここで区別すべきだよね。
犯罪者やDV野郎やいかれた者や変質者と。

ちょっと力みすぎましたね(汗)。

まあ生めや増やせやと戦争で兵士にしようとか
年金問題の解決策と考える連中には、
時間を要してエロティズムなどに感じ入ってもらうよりも
バッコンバッコンのほうがいいのでしょう。

そしてわたしたちは流されて
ただ絶頂を性急に求めてしまう。えっ?本能?

俺たちゃあ、犬猫じゃないんだぜ。

知性や感性はどこに置き忘れてきたんだ。

男の強さ(タフ)って、持続力や回数や堅さや大きさじゃない。
やさしさだ。やさしくなければ生きている資格はない。
チャンドラーもそう言ってたじゃないか。ねっ(笑)




愛と性に対しての補足として(17)エロティズムの正体(10)