あかんたれブルース

継続はチカラかな

ヤバイ



戦後の民主主義の反動から、言論の自由は弱者の味方を大義名分に
権力者成功者を糾弾することを正義としてきます。
まあ、それはそれで意義はある。

ただ、時としてそれが暴走してしまうこともあるものです。

それが最近のマスゴミで、視聴率、購買数を第一にして
それに合わせた伝達がなされている。

日刊ゲンダイが与党とジャイアンツと横綱の糾弾して
経済恐慌を煽れば読者は歓ぶの手法がそれです。
文春も新潮も朝日もイガミあっていますが同じスタンス。

新聞でいえば、瓦版から発したものが明治に
大新聞と小新聞にわかれ、まあ現在はすべてにおいて小新聞というわけです。
このあたりは万朝報や二六新報の足跡をたどると面白いです。

さて、面白ければいいのか?

確かに、黒田清隆が酔っぱらって女房を斬り殺したら
面白いかもしれない。
けれども、それが事実かどうか怪しいのに、
100年以上経った現在もそう信じ込んでいる人は多いものです。

たとえば、数年前に『あやつられた龍馬』という本が出た。
サブタイトルが「明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン
とあるのでなんとく察しられるでしょ。

それ以前から、グラバー邸に集う志士の集合写真とか
幕末におけるフリーメーソンの存在と影響は語られていたのですが、
それはそれとして、この「あやつられ」というのがなんとめ(汗)。

本の内容としてはフリーメーソンを知るうえでは非常に面白い。
けれども出版社、編集者、著者はもっと面白くさせたかった。

こうなると、すべては陰謀。
竜馬はスパイ大作戦で、その人格もなんか「うすらぽかん」となる。
すべてを知っているのは著者だけ。
あとのみんなはすべて操られていたわけさ。となってしまう。

こういったところから
真珠湾攻撃ルーズベルト大統領の陰謀とか
同時多発テロブッシュ政権の陰謀なんていうのが誠しやかに語られる。
櫻井よしこ、しっかりしろよ。

小説だったいいけれど、ノンフィクションもどきじゃねえ(汗)。
はやい話が「とんでも本」になってしまう、わけです。
そこから歴史の本質を見失うことにもなる。

乃木希典が名将か愚将かの二者選択しかない。
歴史認識も善悪いずれかの非常に不自由なものなってしまっている。

これじゃあねえ、ヤバイじゃん。

ヤバイんだよ〜ん(汗)