あかんたれブルース

継続はチカラかな

なぜ考えない。もう考えた?足りないんじゃない?

司馬遼太郎さん原作『坂の上の雲』ドラマ化めぐり論議
として、神戸新聞の記事がネットで紹介されていました。
http://news.goo.ne.jp/article/kobe/region/T20091106MS00712A.html

司馬遼太郎が生前、映画・ドラマ化の申し入れを一貫して拒否していたことは
有名な話です。
「うかつに翻訳すると、誤解されたりする恐れ」を懸念していたものです。

厄介なのです。近現代史は。

それほどに誤解されやすい。

そして、兵庫県内の某市民団体も「問題を考えたい」とのこと。
考えるのは大変結構なことです。して、その問題とはなにか?
自衛隊の海外派兵か、憲法九条の改正(改悪?)なのか?
しかし、改正をはじめから改悪と表記するところから
某市民団体の姿勢は固まっていて、
ホンマに考える気があるのか心配になります。
端から危険と牽制する目的なのではないかと・・・余計なお世話でしょうか。

さらに、
中塚明・奈良女子大学名誉教授(日本近代史)の御指摘も掲載されている。
「原作は日本の朝鮮支配と直結していた日清、日露戦争の真実に触れていない。
 韓国併合100年を翌年に控えた時期に公共放送での放映は理解できない」

小説である『坂の上の雲』に対して、
すごい注文をつけたものだなと、わたしは思う。
また、司馬さんは日清戦争の項で、戦争というものを肯定などしないと
明記しているのだが、この先生ははたしてこの小説を読んだのか?
自分の納得のいかない表現でないと
断固として認めない。そんな感じを受け止める。

たとえば、同時期の池波正太郎『鬼兵犯科帳』に対して
「なんで伊三次を死なせた!」
と抗議をするもの。
まあ、これだったら可愛らしいけどね。

>日本の朝鮮支配と直結していた

そうなのか?
結果としてはそうなってしまったけれど、それはまた
歴史の成り行きのひとつであって、
最初からそうやすやすと朝鮮を支配しようなどとは考えていなかったと
思うのだが、どうですしょう。先生、中塚先生。

いったいどれはどんな真実なのですか?

日露戦争終結までのドラマのなかで、
そのそれを真実として入れよとあなたは注文するのか。
坂の上の雲』は推理小説でもSF小説でも伝奇小説でもない。

あなたは、何様でござるか?

仮に、あなたの納得するように、その真実とやらを入れたとしよう。
そしたら大変なことになるぞ。
それに納得しない人が大騒ぎになって大混乱を引き起こす。
それとも混乱させることが目的なのか?
納得しない連中のなかには
また別な「事実」を入れろとするぞ。

相反する意見があっていいけれども、双方が一歩も引かない
議論ほど不毛なものはありゃせんがな。
それほどに司馬遼太郎の影響力が大きいということも分かる。
でもさ、その権威に対するアンチテーゼが正義正論とは限らない。
坂の上の雲ではわからい」とか「本当の真実」なる
アンチ本もたくさん出ましたが、出だそばから
それに対するアンチ本が出ている。
裏の裏は表なのです。

司馬さんはなにも戦争や国家主義を肯定したわけじゃない。

おかげで右からも左からも非難されている。

考えたり、議論したりするのは大変結構なことです。
話題になってくれること大賛成。

でも議論のための議論とか批判のためだけじゃダメだよ。
2ちゃんねあたりで『坂の上の雲』を批判するものは多いけれど、
なんか「この人、読んだことあるのかな?」と疑問に感じるコメント多々。
また、読んだことのある人でも十数年前とか数十年前の
あやふやな記憶とか、また読みとる力に疑問を感じる人も多いです。

NHKがドラマでやるという。
そういったなかで地雷を踏まないように慎重にやるでしょう。
良い機会だと思います。
そんな心配ばかりせずに、まずは観てそれからでもいいんじゃないかな。
そこで、下手な批判をしないように、
発言には充分気をつける。名誉教授様ならびに市民団体様方。
下手を打つと、反動勢力から「がばっ」とやられて
利用されるのがオチです。

だから、もっと意義のあるものにしよう。
韓国併合100年を翌年に控えた時期に公共放送での放映は理解できない

なんて言わないで
この時期だから意義があるんじゃないか。
駄々っ子じゃないんだから、理解できない。ではなくて
考えようよ。違うのか?