あかんたれブルース

継続はチカラかな

わたしも裸で踊りたい。あなたと

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列伝の三人目は西郷従道でごわす。

上野と鹿児島には西郷さんの銅像がありますが、
西郷さんの写真がなくて
実弟の従道と甥の大山巌をモデルにした。なんていうのは
最近の歴史バラエティーショーで御存知ですよね。

しかし、弟の従道。男前です。

ボーッとして大馬鹿者といわれていましたが、なかなかどうして。
大変な大器でございます。

結構皮肉やだった。でも憎めない。
伊藤博文が一時ドイツのビスマルクにかぶれたものです。
そのときチクリとやりましたけどね。
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/49306256.html
憎まれない。どころか
伊藤は従道に借りをたくさん作って、返さずにじまいでしったっけ。

議会を煙に巻いた成る程大臣です。

こんな上司に見込まれてみたい。男子の本懐です。

宴会の十八番は裸踊りでして、帰国子女の津田梅子が卒倒しましたがな(笑)。

明治を語る上で、藩閥政治の弊害はさけてとおれません。

薩摩長州の薩長閥です。

この薩摩閥とは、西南戦争西郷隆盛に与しせず、
政府軍として戦った薩摩人たちです。

黒田清隆野津道貫樺山資紀、川村純義、などなど
さて、これらのチェストー薩摩人が利害だけで西郷と袂を分かったのか。
ここがひとつのポイントですよね。
ましてや、実弟の従道と従弟の大山巌明治維新では西郷の左右にあって
「大ばか者の信吾と知恵者の弥介」と言われ手足のように働いた者たちです。

このちょっと下の世代が川上操六で、もうひとつ下が山本権兵衛

藩閥政治がよくはありませんが、
あの頃、日本は収拾がつかない状況でしたからね。
ましては自由民権運動家たちも利権の亡者でもあった。
自由と民権は大義名分であって、その根底には不平と嫉妬があった。

俺たちにもよこせ!参加させろ! とかね。
勿論、理想に燃える人たちはいたさ。

でも、藩閥がいいわけではない。

ただ、同じ藩閥でも三井の番頭さんになった井上馨
陸軍の法皇として君臨した山県有朋とは質が違うようでもある。
伊藤博文は別ですよ。わたしの大好きな爺ですから(笑)。

それでも六でもない薩摩出身者は多かったことでしょう。
陸(軍)の長州に対して海(軍)の薩摩と言われます。

この海軍の薩摩の盆暗先輩をリストラしたのが
次官であった山本権兵衛大佐でした。その上司が従道海軍大臣
やったよ。
猛烈な反発があった。権兵衛は一歩も引かない。
それを守ったのが従道「成る程」海軍大臣でした。

この二人のベストコンビは、日露戦争前にまたやった。

当時、戦艦「三笠」の造るのにイギリスに払う前渡し金に
権兵衛海軍大臣は困っていました。
で、従道内務大臣に相談した。

すると、従道は
そりゃ造らなければいけないものだったら造らねばいけない。
といって、文部省の予算を流用しようと言い出す。

そ、そんなあ(汗)。
もし、それがバレたら?

そんときは、誤ってもし許してくれなければ、
二人で二重橋の腹を切ればいいではありませんか。
それで主力艦「三笠」ができれば、本望です。

ぐっ、泣かせる。

こ、こんな人が・・・(涙)。


やっぱり明治はいいなあ。
明治人最高! 明治人バンザイ〜! 従道大好き!

いまだったら大変だよね。
しかし、こんな二人が苦労してるっていうのに、
樺山爺さんの従弟の赤星親子は私腹を肥やし、
海軍の連中は裏金作りをしてたってわけですね。
それもまた微妙ではあるけれど、
それはそれ、として。

これが彼に対する、わたしの偽りのない気持ちです。
http://www.youtube.com/watch?v=wGL8h0_GQEs
聴いてください。



坂の上の雲』(まるわかり)人物烈伝(3)西郷従道