あかんたれブルース

継続はチカラかな

今日、正岡子規記念球場で

夕飯のときのNHKのニュースで
台東区にある正岡子規記念球場で
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/064589/031418.html
坂の上の雲』ドラマ化を記念して
子規が野球をしていた当時そのままのスタイルで
紅白に分かれ試合が行われた様子を紹介していました。

始球式は子規役の香川照之が投げたけどワンバウンドだった(笑)。

そう、『坂の上の雲』は日清日露戦争だけでなく、
秋山兄弟だけでなく、
正岡子規も描かれているのです。
子規とベースボール。
子規と俳句、そして友人たち。

子規と、陸羯南

明治を代表するジャーナリスト、言論人。
この政府を震え上がらせたという人物が、やさしい。
底抜けに、子規に対してやさしい。
結核を患う子規をいたわり、可能な限り出来る限りの
援助と愛情をかたむけます。
「天から授かりもの」だと言って・・・

坂の上の雲は、軍人だけのドラマじゃないぞ。

明治という時代とその日本人を描く群像劇だ。

私たちが中学生の頃、
アニメの宇宙戦艦ヤマト軍国主義を助長させるとか
いって問題にされました。
たしかガンダムなんかもそうだったのかな?
1970年頃こらそんな流れが生まれてきた。

その次は言葉狩りだった。

拡大解釈や問題定義、クレームで封印してはいけない。

今度は、この明治の日本人を封印するのか。

児玉源太郎を「作られた英雄」なんていう者もいます。
誰が作り、どう作られたのか?
いま、児玉源太郎を知るものがどれほどいるのか?

児玉は旅順に日本を救うために行った。
統帥権を犯す危険を顧みず、向かった。
親友乃木希典を救うために行った。
それは西南戦争のときの乃木との約束を守るためだった。
児玉の手には相反するふたつのものが握りしめられていた。

国家と友情

児玉源太郎はそのどちらも手放そうとはしなかった。

日本がまだ若かった頃の物語です。
その時代は個人と国家の距離が近く感じられた。
両者の間にある理想は共有できるものだった。
決して、他国を犠牲にして自分たちだけが有利になろうなんて
考えで坂をのぼっていたのではない。
その坂の上にある白い雲をみつめていたのではない。

彼らの生き様を封印してはいかんのじゃ。


そんなことを思っていたら
テレビの映像は始球式を終えて試合が始まろうとしていた。

「やろうぞなベースボール」

その掛け声で白球が放たれ、歓声があがる。

やろうぞなベースボール。

明治の若者たちの青雲を想うのでした。