あかんたれブルース

継続はチカラかな

歴史の罠 陸奥宗光

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歴史の面白さは、同時に難しさでもあり、そこには罠があるものです。
その罠は
固定観念だったりトレンドだったり・・・
わたしたち自身が作って填っていたりします。

またその時代環境、背景を考えあわせないと、とんでもない誤解を生む。
これも、戦後の歴史考察の稚拙さの要因だと、思う。

たとえば、言葉ひとつとってみてもそれは言えます。

わたしたちは「自由」とか「民権」という言葉を無条件で賛美する。
対して、「国権」とか「国家主義」とか「民族主義」を嫌います。
藩閥」なんて聞くと「悪い」とロイヤルストレートフラッシュです。

歴史を科学とすれば、どんなものも「善玉」「悪玉」なんてありはしません。

自由と民権がダブルセットになった自由民権運動もそれ自体が
善玉万歳!とはならない。かといって悪玉とはならないのです。

杉山茂丸伊藤博文暗殺未遂事件の後に例の酒乱の好漢黒田清隆に会ったとき、
「あなたは自由党ですか?改進党ですか?」と問われます。

杉山はどの党でなく「一人一党」の党員だと明言する。
自由民権運動の政党は自由や改進を売り物にしていると烏合の衆であると言った。
この頃の杉山はまだ打倒藩閥のテロリストの時代です。
イコール自由民権家じゃなかったってことですね。

また、外交官として陸奥の後継者たる小村寿太郎の政党論は
「日本のいわゆる政党なるものは私利私欲のためにあつまった徒党である」
として、それを「虚構(フィクション)」だとし、
返す刀で藩閥はすでに実体のない「影(シャドー)」であると
喝破しております。
故に彼はこの藩閥と党閥が国を亡ぼすとして、
自分はどちらにも属さない。自分は国家だけに属す。とした。


陸奥を語ろうというのに、話が横チンのようですが
まずここをおさえておきたい。

私は陸奥宗光を明治初頭の、日露戦争までの政治家として
伊藤博文と共に高く評価します。
その意味で、ここはまずおさえておきたい。

実は、陸奥宗光は厄介なキャラクターなのです。

そして、最大の問題はスキャンダル。
陸奥西南戦争に呼応する暗殺クーデターに関わっている。
ここに土佐派の民権家との繋がりがあり、
また、星亨という政治家との絆があります。
この星を絡んで、明治の大スキャンダル事件
「相馬事件」と「足尾銅山鉱毒事件」がある。
この両事件に古河市兵衛という商人が関係します。

陸奥を語るのにこの事件は避けて通れませんでした。だから厄介だった。
「相馬事件」はクリアできていたのですが・・・
足尾銅山鉱毒事件」はとても厄介だったのです。

とはいえ、いつまでもクネっクネっしてても仕方ないので、
考えながら見切り発車オーライでやりますね。

陸奥宗光

紀州藩士伊達宗広の六男として生まれる。
この伊達家は伊達政宗の末子・伊達兵部宗勝の後裔と伝えられるが、
実際は古くに陸奥伊達家から分家した駿河伊達家の子孫。とのこと。
それでも伊達家の血筋です。

やがて坂本龍馬海援隊に入りますが
龍馬が明智光秀の血筋であるとするならば、
歴史に流れる人間の血脈とは
面白いものです。

父の宗広は大変な才覚者で栄達をはたすのですが、
幕末のことです。佐幕、尊皇の政争にやぶれて失脚。
宗光一家は困苦と窮乏の生活に、どすこい!


陸奥宗光(2)