日本騎兵の馬格
好古の登場シーンで騎兵の場面がありますよね。
どの馬もサラ系の立派な馬ですが
当時に日本にあんな馬はいない。アラブ系だっていない。
ホントはポニーよりちょっと大きめな国産馬に乗っていたんですね。
戦国武将で今川義元とか斉藤義龍が巨漢で
馬に乗ると足が地面に着いた。というのはそういうことです。
もし、サラブレッドぐらいの大きさの馬だったら・・・
身長は3メートルとか(汗)。
司馬さんの作品で土佐の長宗我部元親を主人公にした
『夏草の賦』では、土佐駒の騎兵の描写がありますが、読んでいて
はたして騎兵の効果があるのかどうかと心配になってきます。
この土佐駒に攻められたのがお隣の好古の伊予の国です(笑)。リベンジ?
本州の甲斐、信州とか東北はまだましだったみたいですけどね。
山内一豊が手に入れた名馬とはどんなものだったんでしょうか?、ね。
明治の騎兵のルーツをたどれば
明治四年に土佐藩から献上された二十頭の馬からはじまった。
これによって、
日本騎兵は明治十六年の頃には千四、五百頭に増えてはいましたが、
すべて日本馬。
わずかに、
この頃オーストリアから牝馬を六頭輸入して日本馬と交配させ
雑種ではあるけれども多少馬格の大きな馬を増やしていく
という気の遠くなる計画が進行してはいたのですが、
実質として遅々として進まない。
日清戦争の段階でも日本の騎兵馬は完全に日本馬でした。
小さいのです。だからそれを見た外国人は笑った。
日本の騎兵は「馬のようなものに乗っている」と。
結局、この問題に日本政府、陸軍が、本腰を入れるのは日露戦争の後です。
つまり、秋山好古はずんぐりした小さな国産馬で
世界最強のコサック騎兵と戦ったわけですね(涙)。
ドラマ「坂の上」血風録(13)