あかんたれブルース

継続はチカラかな

ロシアでも柔道一直線〜♪



第一部の最終話で広瀬がロシアで柔道を披露していましたが
あれは誇張では演出でもなくホントの話です。

広瀬が日本海軍に柔道を紹介したことは既に記事にしました。
「柔道と縁談」
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/49167093.html


海軍兵学校を卒業後も東京や横須賀に乗艦が入港すると
講道館に通っていた。
なんたって彼の嫁は海軍と柔道と漢詩だったのですから(汗)。

明治二十三年の少尉候補生だったとき、講道館で行われた紅白戦で
5人抜きして、6人目で引き分けという快挙をやらかした。
それを目撃した師範・嘉納治五郎
講道館創始以来、初の抜群昇段(初段から弐段へ)を与えたのです。

そして、明治三十年からロシア駐在武官として首都ペテルブルグ市に滞在した。

アリアズナの父ゴヴァレスキー伯爵(海軍少将)邸で開かれた晩餐会で
例の一本背負いを披露した。これは事実です。喝采を浴びました。

これが明治三十三年(1900年)1月のことです。

これによってロシア軍参謀本部の将校に柔道を教えていたといいます。
これが後のサンボの成立に影響を与えたとか。

広瀬が駐在武官に就いて半年後の二月はじめ・・・
日本公使館にひょっこりと広瀬を訪ねて内田良平が現れます。
二人は講道館時代の親友なのです。
内田良平って役者の内田良平じゃないよ。
後に黒龍会を創設する内田良平です。
(彼の叔父さんは玄洋社の三傑といわれた平岡浩太郎)

再会を喜ぶ二人。
そのとき内田は広瀬から頼み事を託される。
皇帝ニコライ二世が柔道を是非みたいと催促されていて、
ついては自分のお抱えレスラーと試合をしてほしいとの要請があったが
生憎自分は至急ドイツに出張しなければならない。
ついては自分の代わりに出場してくれないか。心の友よ。

てなわけで、急遽、広瀬の代役を務めることになった講道館内田良平二段。

時は明治三十二年二月二十日。
場所は冬宮体育館。
相手は皇帝自慢のロシアの最強(重量級)レスラー・レスラージャハーリン。
レフリーはロシチン。
観客には大蔵大臣ウイッテの姿も見えます。

試合開始。

内田はジャハーリンの懐に飛び込むと
小内刈りで相手が態勢を崩したところを横捨て身で投げた!
すかさず寝技の十字固めで決めた。一本、それまで。

内田良平は数日後にロシア陸軍予備学校で柔道を教えたそうです。

内田のロシア行の目的って・・・
ロシアの調査。
つまり、スパイ活動だったんですよ。


広瀬武夫講道館柔道と内田良平・・・
まさに、小説より奇なり。でしょ。




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