あかんたれブルース

継続はチカラかな

龍馬伝から思い立って




昨夜の『龍馬伝』観ましたか?

なんか凝った映像でしたね。
わたしは久々の大河ドラマ鑑賞だったのでビックリでした。
大河ドラマはスタジオセットのイメージが強かったのだが・・・)
映画みたい。8時45分になっても終わらない(汗)。

なんか子役の龍馬、可愛かったですね。
そして、福山君。こりゃ相当に人気が出るな。

「Kちゃん、あれがパパだよ」

「ぜんぜん違う」

「・・・髪の毛のあるほうが福山君でなくなるとパパ」

「ぜんぜん違う」

「友だちでいられないことも恋人には戻れないことおも〜♪」

「パパ静かにして」

「せめて・・・永久の・・・はつ恋と・・・よばせて・・ 」


さて、その第一回の放送の「上士と下士」。
土佐の郷士制度を紹介するのに少々スパイスが効きすぎていましたね。
それとどうなんだろう、龍馬の幼友達として
武市半平太岡田以蔵岩崎弥太郎が登場していました。
まあ結果的に彼らは龍馬の人生において
大きなドラマを演じてくれる人たちではありますが・・・

小説より奇なり歴史の事実。

ひとつの町内で明治維新は達成されたという
薩摩の加治屋町

ひとつの私塾である長州の松下村塾

そう考えれば、土佐の山内侍(上士)と長宗我部侍(下士郷士)の
身分制度は大きな要因ではあるとは痛感します。

リメンバー関ヶ原か・・・

うまやどさんの言葉が沁みます。
「細かいことに目くじらを立てるのも、大人気ない感じがするのでどうかと思うけれど、」

でも、まだ龍馬だったら、幕末だったらいいけれど、
明治に入って日清日露だったら目くじらたててしまうのが常なのでしょうかね。
そんなことをうすらぽかんと考えてしまった。

龍馬誕生が天保六年(1836年)です。
天保生まれの明治人も多いのですが、龍馬が暗殺されたのが慶応三年(1867年)。
差し引き31年。
日清戦争が明治二十七年。

だいたい三十年の時間の経過がわたしたちを不自由にしている。

つまりは、戦国物や剣豪時代小説に目くじらをたてる人は少ない。
池波正太郎を捏造作家というバカはいない。(いるかな)
でも、司馬さんには言うわ言うわ大変です。
坂の上の雲』のなかでも司馬さんが口を酸っぱくしてその辺りを
気にして神経使っていますが、聞かない。いや読んでいないのかな?

だいたい、ホントに読んで批判しているのかどうかわからない人が多い。
と感じてしまいます。
取り敢えず、批判しとけば知的だと思ってるんじゃないか?

という訳で、どういう訳だ?

龍馬伝』ならびに『坂の上の雲』を楽しむにあたって
わたしたち日本人を考えてみたいと思いました。

が、毎度のことでここまでの枕で長くなってしまった(汗)。
ツカミになっておらんじゃないか!

見捨てないでね。そんな感じのものを続けてみましゅ(涙)。




日本人像の本質(1)