あかんたれブルース

継続はチカラかな

もう一度、明治人のように



明けましておめでとうございます。

昨年春、ちょうどこのブログも丸三年を迎えのを契機に
すこしお休みして、近現代史をベースに真面目になろうと誓いました。
それでもときおり、脱線してしまいますが
今年も暑苦しく語りますので
どうぞ、よろしくお願い致します。

さて、ドラマ『坂の上の雲』も日清戦争を終えて
第二部からは遂に日露戦争に突入しますね。

こうなると、この作品に対する戦争肯定とか賛美とか
はたまた手ぬるいとか色々な批判があると存じます。
その現れとして、NHKが下手な気遣い勇み足から
日清戦争」の段でみょうな逸話を挿入してしまった。
それはうまやどさんも指摘したあの変な曹長の登場シーンにあります。

戦争ですからね、色々な理不尽はあります。
それが戦争なのです。

それでも、日本はなぜ日清戦争をやったか。

日清日露の戦争を日本の侵略戦争と位置付ける考えが一般固定化していますが、
いったいどこをどの地を日本は侵略しようとしたのか?
当時の日本と日本人はシナ人や朝鮮人、そしてアジア人をどうみていたか。
ここが肝心です。

日清戦争のあとに、多くの留学生を清国や朝鮮から受け容れていました。
その教育者の一人が広瀬武夫の柔道の師匠であった嘉納治五郎だった。
この人は日本柔道の創設者。だけではありません。
牛込に弘文学院という留学生のための学校を開いていました。
当然、そこでも柔道は教えていましたけれど、
彼は教育者でもあったわけです。
のちに文学革命の旗手となる魯迅も留学して学んでいます。

正月番組で奈良の東大寺を紹介していましたが
その本堂につづく石畳の中心から外側に四層に別れて石の色が違う。
それがクイズの問題になっていました。答えは、
中心からインドの石、次が中国の石、そして朝鮮、その外側が日本の石。
つまり仏教の伝来経由をあらわしています。

その意味で、わたしたち日本人は中国、そして朝鮮から影響を受けています。
いま、戦前の価値観なのかその後の反目からか
中国人、それ以上に韓国朝鮮人に対して気負った姿勢でいますが、
日清戦争もしくは日露戦争まではそうでもない。

むしろ、同胞というか兄弟、仲間意識のほうが強かった。

たとえば初期の日本海軍のオーナーだった西郷従道の逸話に
日清戦争後、息子の従徳が従道の前でチャンコロと発言したところ、
>「外国人を侮辱するな」と大激怒したという

がある。これとってつけた美談じゃない。
西郷従道は台湾征伐をやった軍人であり政治家ですが、その腕には
台湾の先住民族(征伐相手)の酋長からもらった腕輪を生涯していた。
後年肥満体質でとても窮屈そうでしたが、決して外さなかった。

台湾が中国領だって考えちゃダメですよ。
漢民族が海を渡る前に先住民族の牡丹族や高砂族などがいた。
それよりもオランダに侵略されていかことある。
また、当時、漢民族満州少数民族による「清」に征服されていた。

また、話が脱線しましたが、
まず、日清日露戦争の目的の第一は不平等条約改正という点を忘れちゃならない。
だから、非常に神経を使ったのです。

一等国、先進国、つまりは野蛮な国とみられてはダメなのです。
そりゃ、なかには虐殺まがいの事件もあったでしょう。
戦争とは人間を狂わせてしまいます。
でも、日本国としてはできるだけそれを規律で抑えようとした。

実際に日露戦争まではこれが上手くいっていたといいます。
指揮官の資質が良かった。
これが太平洋戦争では地に堕ちてしまったとも言われます。

日露戦争後の日本人の意識のなかで
同胞であるアジア人に対する優越感が芽生えたのは認めざる負えない。
でもさ、それも全部が全部じゃない。
そんな単純なものじゃない。
いまだってそうです。みんながブランド狂いでもオタクでもない。
でもあと何十年かすると2010年頃の日本人はそうだったって教科書に載るかも。

また、日清日露の頃の朝鮮人反日抗日だったというのも・・・どうか?
当時の朝鮮王朝は酷かった。自分で自国をまとめられない。
中華思想として清国を向いている。そして日本を格下とみてバカにしていた。
治世もよくない。身分差別も強く、民衆は圧政に苦しんでいました。
天災や人災があるとそれを日本のせいにしていました。祟りとか呪いといって。
それを鵜呑みにする民衆もいましたが、そうじゃない朝鮮人もいた。
約半分もしくは四分の一はいたでしょう。
朝鮮に革命を、近代化を、と願った者達はいたんです。
それは清国のなかの漢民族も同じ。

現在でも、中国や韓国・北朝鮮の日本人への意識は
教育や政策によって良好なものではありません。
でも、そうじゃない人たちがいることを忘れていけない。
そんなに白黒はっきりできないのです。

中国人がもっとも嫌っているのは米国人だといわれますが、
もっと本音は韓国人だそうです。
なぜか? 狡くて信用できないからだといいます。

私たち日本人は商用でも一般的な交流でもこの信義は大切にしないといけない。
すくなくとも100年前の明治人に恥じないように。
また、外交という場ではたんなるお人好しではなく毅然としてほしい。
すくなくとも100年前の明治人に恥じないように。

劣等感と優越感の両極端で揺れている善良な民族が
自分の足で立脚できる正しい姿勢をもってほしいものです。