あかんたれブルース

継続はチカラかな

『坂の上の雲』の救い



というわけで
幕末の日本人、もしくは明治の日本人と
現代のわたしたちはさほど変わらないことを記事のベースにしてみます。

徳川時代儒教教育の貯金と
文明開化による西洋キリスト教的合理主義が
うまくバランスがとれていた。

世代的には天保生まれの大山巌西郷従道伊藤博文など
中間層で秋山好古や島村速雄などの軍人でいえば少将クラスまでが
ここに位置するのだと思います。

かといってその時代環境が理想だったとはいえない。
藩閥というものがありました。
それに対する不平不満が存在していた。混乱していたのです。

日本は大急ぎで人材育成つまりは教育を重視しました。

その次の世代。つまり日露戦争で佐官クラスのものたち
たとえば松川敏胤(大佐)とか大庭二郎(中佐)とか秋山真之(少佐)
たちは第三世代として、合理主義に傾いていった世代です。
広瀬武夫は例外かもしれませんが)

彼らは士官学校や陸海軍大学などで篩にかけられた優秀な者たちです。
つまりエリートです。ところが、
皮肉な話ですが、このフェアな選択肢であるはずの優秀さが
必ずしも良い人材ではないところが、難しい。
その立証として
日露戦争で活躍した中間世代の存在があり、
その後の日本の歴史があります。

徳川時代の日本人から維新後の日本人
日露戦争までの日本人、それ以降の日本人
(太平洋戦争)戦前、戦後の日本人と
わたしたち日本人はさまざまな変容を遂げてきました。

が、ひとつだけ変わらない特性があるようです。

それは日本人特有の「恥」に対する意識です。

恥の文化ともいわれます。

それはとても大切なものなのですが、どのような物事にも表裏と長短がある。

ある意味で、
坂の上の雲』の主人公たち
あの楽天家たちは
この恥の意識が凡人たちからみれば欠如しているとみられていたかもしれない。
それは秋山兄弟でさえも
児玉源太郎山本権兵衛もそうです。

出る杭は打たれる。

彼らはそれを屁ともしなかった。なぜか?

これが立身出世を一大スローガンとする明治人の在り方に
付随する理想でもあり、エロティズムだったのではないかと思います。
まあいうならば「志」でしょうか。

皮肉なことと言えば、
その恥に対して一番意識していた乃木希典という武士道精神の権化の存在が
死後、その精神主義を利用されて
本人が望んだかどうか知らないところで祀られた点にもあるのかなと
思うのでした。

何にせよ、『坂の上の雲』の救いは
日露戦争終結までの「雨の坂」で完結されているところでしょう。

笑って死んだ児玉は幸せだったかもしれません。
その坂の上で雨に濡れる山本権兵衛の表情は複雑で厳しいものだった。