あかんたれブルース

継続はチカラかな

日本人史観の不自由さ



日露戦争を戦うにあたって日本はそのお金がなかった。
そこで日本債を発行して欧米で売り出すことにします。
つまりは借金して戦争をしたわけですが
この日本債が売れない。それほどに日本に信用と実力がなかったわけです。

その営業担当を誰しもが嫌がります。そんな仕事無理だと。
また、引き受けても途中で挫折してあきらめてしまう。
それを引き受けて成功させたのが高橋是清だったのです。

是清も最初渡米したアメリカでまったく売れなかった。
そこでロンドンに向かおうとします。が、
「ロンドンでも絶対無理だよ」という
横浜正金銀行のロンドン支店長・山川勇木からの電報が入ります。
出発前から出鼻を挫かれてしまう。

そのとき、是清は
「天は自ら扶くる者を扶くというではないか。
国家の危急にのぞみ、全力を尽くすばかりだ。」

といって、ロンドンに向かう。

この「天は自ら扶くる者を扶く」という言葉は
明治初期に中村正直の翻訳でベストセラーになった『西国立志編』の一節。
その原典にあたるのがサミュエル・スマイルズの『自助論』です。

スマイルズは英国の医師ですが、
産業革命以降の近代化にあたって西洋キリスト教的な前向き啓蒙本として
この『西国立志編』は福沢諭吉の『學問ノスヽメ』とともに
日本人青年に大きな影響を与えました。

ある意味で、『坂の上の雲』というタイトルにある
その坂と、その先に広がる青い空と白い雲は
「青雲」をイメージするでしょう。
楽天家たちは前のみをみて坂をのぼった。そのなかには
「立身出世」というものを無視はできない。

なんといっても青年たちは貧しかった。
秋山好古児玉源太郎も島村速雄も小村寿太郎高橋是清も・・・みんな貧しかった。
それが、現在批判されている拝金主義や出世欲に奔らなかったのは
この『自助論』にある
自分だけよければいいという利己的な考えではなく、
(もちろんこれに武士道精神の「仁」なども加わって)
「国家の危急にのぞみ」の「国家」という存在と個人との
位置付け距離感があったのだと思います。

いま、「国家」をくちにすれば、右翼だとか、民族主義者、でなくても右よりの人。
でなくても保守的の持ち主で商工会議所の会員じゃないかとか
自民党の党員じゃないかとか、『諸君』の購読者じゃないかとか
あることないこといわれはなくても思われます(涙)。

とても不自由なんですね。

そんなことをいいだしたら幕末の志士たちはみんな極右過激派ですし、
坂の上の雲』の登場人物はお気楽な勝ち組の楽天家になってしまう。
実際に、そういうことを本気で信じて思い込んでいる人たちがいるのも
事実です。

島村速雄は死去するちょっと前まで借家だったし、
小村寿太郎はずっと借家でした。
伊藤博文も資産など妻梅子に残せなかった。

戦後の「民主主義」というもののなかにある問題点。
善良な市民のなかにある個人主義
拝金主義や利己的な価値観はむしろそのなかにあるのではないかと思います。



余談ですが、
昨日BSでマーロン・ブランドの『革命児サパタ』を久々に観ました。
原作はアメリカ文学の巨人スタインベック。(『怒りの葡萄』とか有名)
理想を求めた戦ったあとの利権争い。
ここでもそれが描かれていた。人間とは相当に厄介な生物です。
明治維新でもそれはあった。
あったけれども、アメリカのような
「自分の利益のためには弱者が死のうと生きようと勝手だ」とする
資本主義のエゴイズムと非人間性までは至らなかった。(例外はいたとしても)
その辺りを
甘いとするのか、楽天家と揶揄しるのか、はたまた嘘だとするのかは
個人個人の自由ですが、
正義と悪を二分して考える思考法は
非常に不自由であることは確か、だと思います。