あかんたれブルース

継続はチカラかな

楽天家の熱狂



現代人と幕末明治の日本人と相違から熱く語ります。

引き続き、高橋是清の語録から

「私の半生は、すでに人の知る通りであって、
 多くは自分の不明から、いたずらに無用の波瀾をかさねてきたわけであるが、
 しかしその間、
 ただわずかに誇りうるものがあるとすれば、
 それは、いかなる場合に処しても、
 絶対に自己本位に行動しなかったという一事である。

 子どもの時から今まで、一貫して、
 どんなにつまらない仕事をあてがわれた時にも、
 その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。

 だから世間に対し、人に対し、あるいは仕事に対しても、
 いまだに一度も不平を抱いたことがない。
 またこれと同様に、
 あるいは他人から見てはうらやましがられるような境遇にいる時でも、
 自分に重きを置くことをしなかったため、
 特別によろこぶ気も起こらない。」


昨今は心理療法などで、「犠牲になるな」といわれます。
まあ、それはそうなのですが、とは別の話で。
反省を含めて、わたしたち現代人は被害者意識が過剰すぎないか、と。
思うときがあります。
また、手柄を上司に横取りされたいうぼやきも酒場でよく耳にする。
そういう上司が多いのも事実ではあるのですが、
自己PR、自己主張、自己査定、そしてパフォーマンス。

そういったなかで、この是清の言葉に
楽天家たちの姿がわたしにはとても眩しい。

坂の上の雲』でも登場するでしょうが、
陸軍の第二軍司令官・奥保鞏は自分の功績を隠した人物です。
海軍の島村速雄はその功績を他人に譲る人だった。

正直者は馬鹿をみる。と申します。が、
奥保鞏や島村速雄はバカをみたかなあ・・・
彼らをバカだといえる人がいるだろうか?

彼らが藩閥の外であったこととは話は別です。
これは人間の質というか地金のようなものなのでしょう。

えっ、もっと上手に立ち振る舞えばもっと出世した?
そんなに出世したかったかなあ。
(大将までいけば充分じゃないのかな。それ以上は名誉職だし)
少なくとも、彼らより出世した寺内正毅や上原勇作よりも
奥や島村は格好いい。

どうせ人間は死ぬのです。

虎は死して皮を残しますが、
人間は生前の勲章や業績よりも、どう生きたか。という一点につきる。
そしてその名を残します。

是清の死を226事件の凶弾に倒れたとして、
「悲劇」と感じ、不幸と思う人がいたら間違いだと思います。

是清は幸せだったとわたしは思う。
それは、死してなお
彼の言葉に感動する者達は絶えないからだ。
わたしは高橋是清が羨ましい。

彼のように生きたい。彼のように死にたい。